パブリックビューイング「デモクラシーを取り戻せ」を終えて

インターネット映像研究会」(代表:山口あずさ)というグループをこの4月に立ち上げて、インターネットを使っていない人、使いきれていない人にインターネットを広める活動を行っている。 時間のあるときにと思って「消費増税に負けないインターネット買い物術!」というイベントを平日の昼間(最終日のみ土曜日)、地元密着(地区会館等)というコンセプトで8回開催したが、スタッフ及び関係者を除いて、集客が4名という惨憺たる結果に終わった。 着眼点も内容もそれなりによかったと自負しているのだが、ターゲットがいるようでいない微妙な位置づけだったのかもしれない。 また、第1回映像研究会を4月29日開催。祝日夜の開催で場所も田無駅前の「アスタ市民ホール」だったのだが、スタッフ4名に対し、来場者3名。 ただ活動の意義はあるということで、こちらは継続してゆくことになった。 また、インターネットをある程度使っている人を対象にした5月6日開催の「Wordpressを使ってみよう!」(アスタ市民ホール)は、集客的には少しましで、スタッフ2名、関係者ではあるがターゲットである方が2名、来場者5名と、計9名の参加を得た。 そして昨日の「デモクラシーを取り戻せ 宇都宮けんじ×想田和弘」。スタッフ2名を含めて10名での開催となった。場所は田無駅から3分ほどの西東京市役所田無庁舎の会議室で行った。夜10時まで使えるのでここを選んだのだが、2階入口が夜間は閉鎖されていて、入口がわからない人がでるのではないかと心配になった。 受信がうまくいくかどうかが気になっていたが、IWJの映像がプロジェクターでの拡大にも耐え、配信もとぎれることなく受信できた。途中、ツイキャスの画面にもしてみたが、やはりツイキャス画面は粗く、音もIWJの方がきれいに聞こえた。今回のような水準で常に上映できるのであれば、パブリックビューイングをあちこちで開催することも夢ではない。 機材はプロジェクター(あるいはモニタ)と、ネット受信できるPCがあればいい。西東京市は、無料で借りれる会議室も多く、安価(チラシ印刷等宣伝費のみ)で開催できる。 先の都知事選で宇都宮けんじさんのサテライト個人演説会に来てくださった方とも再会できた。 イベントの終了は9時を回っていたが、終了後、残っていた人たちと、インターネットでの出会いと、リアル世界での出会い、また、リアル世界での知人とインターネットで会うとどうなるかなどなど、ネットのことや、また政治のことなど話し合うことができた。 インターネットにつながっていて、自宅で見ようと思えば見れる人も、パブリックビューイングが楽しめると感じてくれたようだ。 このような活動をつづけてゆきたい。

さて、昨日のイベントのテーマは「選挙」だった。日本の公職選挙法のおかしさを取り上げていたのだ。 わたし自身、選挙に2度も出ておかしさを実感させられた。最初の選挙のときに選挙の前に作成配布したチラシが選挙違反ではないかと知り合いの市議に指摘されて、選管に駆け込んだところ、違法性なしと言われたり、また、「選挙キャンプ」(カフェ等で開催)を計画したところ、選挙違反を疑われるという理由で、自主規制するはめになり、なんの宣伝もできなかった。こちらは選挙違反になるのかどうか、未だ不明。(カフェで開催すると過剰な接待を疑われるといろんな人に言われたが、過剰な接待をする財力もなく、その意図もなかったので、未だに不思議。実際、純粋なワリカンを予定していた。)結局、公職選挙法に翻弄されたあげくの自主規制と思われる。
極めつけは都議選での惨敗で、供託金没収よりも公費負担(ポスター代、街宣車関連費用)が自己負担になったことが強烈だった。 もし、国政だったら人生が破綻していたのではないかと思う。 無料だと思って使ったお金を払えと言われる。しかも、この金額は供託金を超える。まるで罰金刑に処せられるようなものだ。 また、泡沫候補の出馬禁止や売名禁止という事項はわたしに当てはまるのか?市議補選で集めた12626票(次点)が2742票にまで減るとは思っていなかった。また、都議選の全体を調べたところ、3倍以上の倍率になった場合にのみ、供託金没収が発生していた。この手の公費負担の費用が諸外国でどのような扱いになっているのかを知りたい。
そして、先にもブログで書いているが、選挙時に個人演説会会場として使えるはずの公民館が、西東京市では制度的に使えなくなっている。このようなケースが他の地域でもあるのではないか?これは明らかな違法なのに、自浄機能があるようにも見えない。不思議である。

年末に西東京市の市議選がある。 これに対し、わたし自身がどのような選挙活動をするか。 昨日の想田さんの発言で、選挙出馬は「羞恥プレイ」というのがあったが、まったくもってその通り。そして、その一般的な内容は、候補者と選挙者がお互いに相手をバカにしているかのような仕組みなのだ。 たとえば、ありもしない立会演説会のポスターを貼ることが合法とされる。有名政治家と候補者の写真と政党の名前が3分割されたスペースに収まるように作りなさいという不文律があって、あり得ない日時の立会演説会の日程を記載する。選挙が始まる前に剥がすのでどうでもいいそうだ。。。。選挙者をバカにしている候補者と、選挙者にバカにされている候補者の選挙なのではないか。しかし、他に方法がないではないかというのも一方にある。
他に方法がないのかどうか、わたしは市民運動家なので、都心で行っていた市民運動家の活動を地元で行うことにする。選挙に出ようが出まいが、わたしは西東京市のみなさんにわたしの主張を伝えるための活動をする。そして、わたしの主張に近い活動をしている方たちを支援したい。西東京市には有意義な活動をしている方たちがたくさんいるが、ネット上の発信が不十分なので、それをお手伝いする。
そして、このプロトタイプを他の場所にも移管する。 一石二鳥ならぬ、一石3鳥を狙っているのだ。

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