ジュネーブ市長 レミー・パガーニから、前双葉町長 井戸川克隆への書簡

※井戸川さんからの拡散要請により、UPしました。みなさんも、拡散にご協力ください。

pdf:Pagani_to_Idogawa|セブンイレブンネットプリント(A4モノクロ2枚):52959995

井戸川克隆様

  ジュネーブ 2013年2月13日

 拝啓

昨年のジュネーブご訪問に改めて感謝申し上げます。Palais Eynard(市庁舎)に井戸川さんをお迎えでき、大変光栄に存じます。2011年3月に発生した原発事故後、日本国民の皆さんが直面している問題の理解がより深まりました。

1月23日に双葉町長を辞職されたと伺いました。苦渋の決断だったとお察しいたします。井戸川さんは福島県の首長の中でただ一人住民を県外に避難させ、原発事故の深刻な状況に対し無策、無責任な態度を取る政府、東電を公然と糾弾されてきました。放射能被害から町民の皆さんを守るために、あらゆる措置を講じられてきました。辞職されたことは残念に思います。

昨年10月にお会いした際、チェルノブイリと日本の避難基準を比較した表を見せて下さいましたね。日本政府が、直ちに健康への影響はないとの見解から、年間の放射線許容量を20mSvまで引き上げたと知り驚きました。

ご存知の通り、ICRPは一般公衆の年間被曝許容限度を1mSvと勧告しているほか(原発作業員の被曝許容限度は年間20mSv)、子供は大人よりも放射能に対する感受性がより高いことは周知の事実です。また、放射能が及ぼす健康被害についても幅広く論文化されており、最近ではニューヨーク・サイエンス・アカデミーが2009年に発行した研究書に詳細が述べられています(脚注にあるA.ヤブロコフ博士、A.ネステレンコ、V.ネステレンコ著の「チェルノブイリ:事故が人々と環境に与えた影響」が該当する研究書です)。そして、多くの独立した研究者が数十年来の研究結果から、被爆に安全なレベルはないと唱えています(ICRPも閾値なし直線仮説を認めています)。

ICRPが勧告した年間被曝許容限度の引き上げ正当化の立証責任は、日本政府にあります。しかし、そんなことを実証できるのでしょうか。実際には、これ(1mSv)以下の低線量被爆による健康被害が認められていることから、許容限度などは意味を持たないのです。政府に福島県民の皆さんがモルモットにされている事態は許しがたいです。事実、政府はIAEAとWHOの協力のもとに、福島県民の健康実態のデータを集めようとしています。これは人権侵害であり、即刻阻止されなければなりません。

井戸川さんは、今後も政府当局による非人道的な扱いから市民の皆さんを守るために戦っていかれると伺いました。もっと多くの人々が共闘することを望みます。人々が高濃度汚染地域での生活を強いられていることは到底受け入れられません。政府と福島県が、双葉町の皆さんを致死的なレベルに汚染された地域に帰還させようと画策していることは狂気の沙汰としか言いようがありません。

また、福島県の約40%の子供達に甲状腺の異常が認められたことは由々しき事態です。福島県外でも、甲状腺異常の発生率が増加していると伺いました。このような非常事態の中、医療関係者は真実を隠蔽し、被曝の影響を否定しています。お会いした時にも井戸川さんが強調なさっていた通り、日本人はチェルノブイリから学ばなければなりません。福島の状況は、住民の皆さんの健康被害の発生頻度を見る限り、チェルノブイリよりも更に深刻に思えます。ご存知かと存じますが、チェルノブイリ周辺で甲状腺ガンの発生率は1990年代に入ってから増加し始めました。双葉町では約300人の住民の皆さんが、福島第一原発の第1号機爆発により発生した高濃度の放射能の灰を浴びたと仰っていましたね。にもかかわらず、政府や医療関係者は、被害者の皆さんに対して健康調査を実施しなかったとのこと。会合の際お約束しましたが、ジュネーブ市は、医療関係者やIndependentWHOなどをはじめとする団体と協同して、適切な健康調査が実施されるよう、最大限サポートしていく所存です。他に何か協力できることがありましたら、遠慮なく仰って下さい。

今後益々のご活躍をお祈りするとともに、正義を勝ち取るための戦いに多くの皆さんが団結することを望んでやみません。くれぐれも健康に留意され、またジュネーブでお目にかかれることを楽しみにしております。

 敬具

 ジュネーブ市長
レミー・パガーニ

双葉町町民「7000人の復興会議」

双葉町町民「7000人の復興会議」に参加してきました。
双葉町から西東京市に避難している女性と、「原発」都民投票を通じて知り合い、友達になりました。彼女から昨日今日の会議についてのお誘いがあり、急遽、蒲田にある大田区産業プラザに行ってきました。

会議は、7つのグループに分かれて、ワークショップ形式で、これからの双葉町をどうしていきたいのか、町民の希望を聞くと言う新しい試みでした。
それぞれのグループが最後にみんなで話したことを発表したのですが、中には何も解決していない中で前向きに考えられないという結論に達したグループもあって、傷の深さを思い知らされました。
わたしは傍聴人であるにもかかわらず、友人の意向もあって、双葉町のワークショップグループの一員にさせていただきました。
ワークショップで一緒のメンバーになった人たちは、同じ双葉町出身と言っても、お互いに顔見知りと言うわけではなく、最初はうちとけない感じでしたが、一年に一度開催していた体育大会の話や、駅前のラーメン屋さんの話、ぽつぽつと話初めて、懐かしさに笑顔がこぼれたときには、ほっとする思いでした。
みんな故郷への思いを強く抱いていましたが、5年で帰れるなどとは誰一人思っていないという発言もあり、土地としての双葉町にはそう簡単に帰ることはできないと考えていました。
土地としての故郷を取り戻すのは困難でも、コミュニティとしての故郷は取り戻
せるのではないかと強く感じました。
同じ福島と言っても、浜通り、中通り、会津と全然違うそうで、双葉町のある浜
通りは雪も降らずとても気候のいいところとのことで、海風のある同じような気
候のところに住みたいとおっしゃっていました。
駅前の大幸(たいこう)というラーメン屋の名前をグループ名にしたのですが、
このラーメン屋さんは畳で、しょうゆラーメンが他にはない味だったそうです。
大幸を復活させて、故郷の人たちと近所に住む。
それなら、そんなに遠くない将来に実現できそうな気がします。
双葉高校もとてもいい学校だったようで、皆の誇りだったとのこと。
双葉高校を幼稚園から大学まで作って、仮のと言わず、理想的な新生双葉町ができたらいいのにと思いました。ひどい目に会ったのだから、今度はみんながうらやましいと思うようなコミュニティを作ったらいいと思います。

故郷の単位として、福島では広すぎ、双葉町のそれぞれの部落と考えると狭すぎるとのこと。双葉町がちょうどいいが、双葉、浪江、大熊、富岡を合わせて双葉市と考えるという案も出ました。

できることがあれば、わたしも応援したいと強く思いました。