裁判官の良心

裁判官の良心(憲法第76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」)というのは,個人的な良心だろうと漠然と思っていたところ,裁判官の良心というのは,憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」でいうところの良心とは違うのだそうで,びっくりポン。
弁護士の会議にちょこんと参加させてもらっているので,とても勉強になる。
自宅には憲法の教科書が何冊かあるので,該当箇所を読んでみた。
以下,小林直樹先生の古い教科書「憲法講義 下」から。。。。

p.680
問題は,裁判官の準則となるべき実定法規が,裁判官の「良心」と矛盾する場合,とくにいわゆる「悪法」の問題であろう。本条にいう「良心」(conscience)は,裁判官個人の主観的良心(個人の思想や政治的信念や人生観)ではなくて,「裁判官としての良心」であり,所与の法規の客観的意味を公正に理解する職業的良心である,と解される。
だが,個人の良心と職業人としての良心とを観念的にはそのように分離しえても,個人としての良心がまったく容認しえないような実定法規の適用は,裁判官に大きな苦痛と試煉を課するであろう。「憲法も法であるか」という問題が,最もきびしい問いとなってさし向けられるのは,こういう場合の裁判官である。結論からいえば,それにもかかわらず,法の支配に服するのが,いいかえると公正な法規の解釈と適用に努めるのが,裁判官の地位に課せられた第一義の職責だ,と考えられる。主観的な「良心」をみだりに混入することによって,法治原則が歪められるならば,裁判の公正も人権の保障も期しがたくなるからである。もっとも,後述する違憲法令審査権は,裁判官が憲法の基本価値に忠実であるかぎり,法律と良心の相克を解決するキィになりうる。憲法的良心に真向から衝突する法規は,その審査権のフルイにかけることができるからである。

p.709
いわゆる法令審査権(違憲立法審査権)を裁判所に認めた。これにより,裁判所の権限と役割が飛躍的に増大したことは,いうまでもない。それはとくに,憲法および国民の基本権を他の国家機関の専恣から防御する意味で「憲法の楯」となる重要な機関を期待されている,といわなければならぬ。

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