続マイライフ

生い立ちから、2014年11月までのことを書いたマイ・ライフの続きです。

2014年12月 西東京市議会議員選挙。前年の市議補選で1万2000を超える得票を得ていたこともあり、落ちるはずがないと思って取り組んだ選挙でした。が、たいへん甘い見通しで、やはり自分の市民活動の持ち場が23区であったことは如何ともし難く、西東京市での評価を得ることはできませんでした。

2015年前半 市議補選、都議選、市議選と続いた3回の選挙出馬は、かなりの冒険でしたので、何でもいいから仕事をせねばという状況に陥りました。が、派遣は契約が続かず、就職した会社は、正社員の募集だったにもかかわらず正社員にしようとせず、社会保険なしで今月もアルバイト契約で、と言い出すような会社で、文字通りブラック企業でした。退社後にちょっとしたお仕置きをし、遡って社会保険に入らせる手続きを取りました。働き続けている人たちに少しでもいい影響があればと思ってのことです。このとき、若い人たちが、自分は仕事運が悪いと口々に言うのを聞きました。仕事運ではなく、会社が違法行為を働いていることが実態と思いました。

2015年6月-2016年6月 脱原発政治連盟緑茶会代表の竹村英明さんが、太陽光発電の会社を設立し、週に一度お手伝いをすることになり、約一年間続けました。

2015年8月 暗中模索のまま夏を迎えました。この時期はちょうど安保法案が大きな議論になっている時期でもありました。
ある日、憲法9条が好きな人は日の丸が嫌いで、日の丸が好きな人は憲法9条が嫌いな印象があり、日の丸の真ん中を9でくり抜いた缶バッジを作ってみたくなり作成しました。その直後、旗の形の缶バッジを探していたことが功を奏し、「アベ政治を許さない」を掲げるという運動が広がり始めたときに、この缶バッジをつくることを思いつきました。
※日の丸に9は、後にオウム事件で活躍された(殺されそうになった)滝本太郎弁護士の目にとまり「日の丸九条の会」のマークに採用されました。

2015年9月 安保法案反対の大きな流れの中で、「アベ政治を許さない」の缶バッジがデモ会場で飛ぶように売れ、就職する必要がない状況となりました。屋号は「憲法屋」とし、缶バッジにとどまらずステッカーやトートバッグなどさまざまなグッズを制作しました。ただ、このような不思議なことが長く続くとも思えませんでしたが、デモ会場での露天商状態で、2016年を迎えることとなりました。

2015年10月 非核平和をすすめる西東京市民の会主催のピースウォークで、丸木美術館に行きました。原爆の図を缶バッジにできないかと思い付き、受付でその旨お伝えしたところ、丸木ひさ子さんに直接問い合わせるように言われ、ご連絡して許可を得、原爆の図の缶バッジを作成しました。この印刷は美術印刷を扱っている会社に発注し、きれいな印刷に仕上げました。

2016年3月 安保法制違憲訴訟の会の事務局が混乱しているらしいとの話を友人から伝え聞き、時給1000円で生活はできないと思いつつ、缶バッジ販売もしておりましたので、事務処理の整理整頓に行ってみることにしました。

2016年4月 安保法制違憲訴訟東京国賠訴訟提訴。原告の一人になりました。

2016年7月 安保法制違憲訴訟の会の専従の事務職員として訴訟のお手伝いをすることになりました。某社及び複数の弁護士の割り勘で、それなりの給与を捻出していただき、市民活動が本職となりました。その後、この仕事が6年続くことになりました。
日本の良心と言っても過言ではない弁護士の集まりに参加させていただき、かつ事務局次長という肩書も付けていただき、情報発信を続けました。たいへん勉強になりました。

2017年9月 安保法が国会を通過して二年が経過した日の国会前のデモでスピーチをしました。

2017年10月 解散総選挙を受けて、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める西東京市民連合」を結成することになり、世話人の一人になりました。

2018年6月 志田陽子武蔵野美術大学教授(憲法学)をお迎えし、西東京市民連合キックオフ集会を柳沢公民館で開催しました。

2018年8月 東京19区(衆院選の小選挙区)のその他の地域、小平、国分寺の市民連合とも連携することになり、以後、西東京市連合と3市市民連合(西東京市民連合、こだいら市民連合、市民連合@国分寺)での会議をそれぞれ月1で持つようになりました。

2018年9月 3市市民連合の共催で、ルネこだいら中ホールに高田健さんをお迎えしてイベントを開催しました。

2019年3月 内田裕也氏逝去。学生時代から心酔していたロックスターの死は衝撃でした。内田裕也.com(オフィシャルサイト)の制作は、わたしが生きている限りは続けようと思います。私にとって、この世界が生きるに値する楽しいものだと教えてくれたのが内田裕也氏でした。

2019年5月 松元ヒロさんをルネこだいらにお迎えして、3市市民連合の集会を行い野党共闘の後押しをしました。

2019年11月 内田裕也生誕80年パーティを主催しました。*毎年継続中。

2019年12月 前川喜平さんをルネこだいらにお迎えして、3市市民連合の集会を行いました。

2020年3月 内田裕也ロックンロールお墓参りを主催しました。 *毎年継続中。

2021年2月 2月7日執行の西東京市長選挙に於いて、現市長池沢たかし氏の確認団体「明日の西東京を創る会」が配布したチラシが違法であり、事実をゆがめているとして、西東京市選挙管理委員会に対して選挙のやりなおしを求めて、異議の申し出を行いました。西東京市長選挙異議申し立ての会を結成し総代になりました。

2021年11月 西東京市長選挙異議申し立てについて、東京高等裁判所の判決がでました。選挙のやり直しは認められませんでしたが、明日の西東京を創る会の作成したビラは、2号ビラのみならず1号ビラも違法とされました。

2021年12月 ぼうごなつこさんの「100日くらいで理解できる憲法入門 」の第96条(憲法改正)のところに一文を掲載していただき、共著者となりました。

2022年1月 日本教育会館にて、石川健治東京大学法学部教授をお招きしてイベントを開催し、司会を務めさせていただきました。

2022年2月 安保法制違憲訴訟全国原告連絡会共同代表就任。

2022年3月 安保法制違憲訴訟の会、契約終了。

2022年4月 クラウドファンディングで資金を集めた絵本「どうぶつ村のせんきょ」発行。チームふくろうの一員として、文章を担当しました。西東京市内の図書館すべてに寄贈しました。

同月 西東京市が主催する手話講習会の受講を開始しました。

2022年5月 西東京市長選挙異議申し立てについて、上告不受理となり、判決が確定しました。

2022年6月 3市市民連合主催で、「防衛と憲法」(半田滋さんと飯島滋明さんのON LINE対談)、西東京市民連合主催で「農と食を考える」(印鑰智哉さん、田無公民館)を開催し司会を担当しました。

2022年6月-9月 子ども日本語ボランティア受講。

2022年7月-8月 学童の夏季アルバイト。小学校低学年のこどもたちが可愛かったです。

2022年7月-8月 シニア生活アドバイザー受講。

2022年7月-12月 農業を知る講座受講。

2022年9月 シニア生活アドバイザー合格

2022年10月 西東京市公民館と西東京市民連合の共催で「国際社会の歴史認識と日本国憲法」(飯島滋明名古屋学院大学教授)を開催し司会を担当しました。

2022年12月 西東京市議会議員選挙 出馬予定