ぬいぐるみ

今日は、西東京市民連合の駅頭街宣をしました。
動画を撮りましたので、近日中にUPします。
わたしが司会をしたのですが、ぬいぐるみの話をしましたので、その話を書いておこうと思います。

一週間ほど前にTV画面に小さな馬のぬいぐるみが映りました。
戦争を伝えるニュースで、湿った感じのするそのぬいぐるみは茶色だったのですが、
この湿った感じは血なのではないかと思いました。
もしかすると考えすぎなのかもしれませんが(そうあって欲しいのですが)、このぬいぐるみを抱いていた子どもの血に染まっているのではないかと思えて、ずっとその映像が頭から離れません。
わたしは幼いころからぬいぐるみフェチで、人形には見向きもせず、とにかくぬいぐるみが好きな子どもでした。
なので、子どもにとって、ぬいぐるみがかけがえのない親友だっただろうと、想像してしまうのです。
ぬいぐるみにとっても、その子は親友だったに違いありません。

かつて読んだ遠野物語の一節に、ご神体で遊ぶ子どもの話がでてきます。
ご神体を川に流したりして、子どもが遊んでいて、それを大人が叱ったところ、叱った大人にばちがあたったと書かれていました。
神様は子どもと遊ぶのがすきなのだと。

ぬいぐるみを子どもの血で染めた大人を、大人にそんな真似をさせる政治を、神様がいるなら罰して欲しいと思います。

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