「戦後のはじまり」から、「いま」を考える 第4回

今日は、地元西東京市の公民館講座の第4回目に参加してきました。
前回も押し付け憲法論の分析を学びましたが、今回はまた新たな視点で、憲法がGHQ案を受けて、「日本化」が試みられたことを教わりました。

第一の日本化:日本政府による修正「GHQ案を帝国憲法的な秩序に翻訳」→挫折

第二の日本化:帝国議会による議員たちの修正「第一の日本化への抵抗」→GHQ案以上の民主化

第三の日本化:施行後の日本社会による解釈の拡大・確定→判例の蓄積

押し付けられたと言っているのは、第一の日本化に賛成だった人たち。。。なるほどですね。

そして、前回もドイツが分割占領されて、後に東西に分かれたという地図を見せてもらったのですが、今回は、実は日本も分割占領されたのだと学びました。米国に沖縄、ソ連に北方領土、というところまでは、当然知っていたわけですが、38度線が要するに大日本帝国が分割占領された結果だということは、この講座を通じて、初めて知りました。
大日本帝国の被害者であった韓国朝鮮は、連合国と一緒に日本に勝利したにもかかわらず、日本と一緒に敗戦の構図に巻き込まれたということのようです。

安保法制違憲訴訟の原告にもなっている崔善愛さんが、朝鮮戦争のことを語るときに、日本人は朝鮮特需のことばかり言うのはおかしいのではないかと指摘していましたが、お隣の国がひどい目に遭っているのに、儲かったというエピソードしか聞こえてこないのは、確かに失礼過ぎます。
38度線の原因も日本だったとなれば、言葉を失ってしまいます。

同時に、韓国の保守と、日本の保守が似通っていることにも気づかされます。
戦後の統治が、それまでの政権を利用する形でなされたことから、日本は親米が保守とされ、韓国では親米(親日)が保守とされるのです。

あと1回、3月に第5回目があります。

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