川内原発再稼働

この国はふざけているのか?
国力を上げて、再生可能エネルギーを推進すべきときに、原発の再稼働。
しかも、11日は、東日本大震災で亡くなった方たちの、月命日だ。
わたしは、3.11を経験した後、脱原発は当然のことと考えて、脱原発の運動に飲み込まれた。

原発がなくても、電気は足りなくなることなないということもわかった。
原発は、動き出して安定するまでに時間がかかる。したがって、簡単に発電できるなんらかのバックアップ電源がどこの原発にもあるのだ。
3.11の後に、電気が足りなくなったのは、バックアップ電源までもが壊れてしまったからだった。
しばらくすると、電力共有は持ち直した。バックアップ電源の方は、修復が容易なのだ。
確かに化石燃料を使わなければならないが、当面は化石燃料を使いつつ電力供給を行い、再生可能エネルギーの普及に注力する。なぜ、当たり前のことができないのか。
実は、当たり前が当たり前でないのには、理由がある。

プルトニウムだ。

広島に落とされた原爆はウランで、長崎に落とされた原爆がプルトニウム。
プルトニウムが本番だった。
わたしの住んでいる西東京市には、模擬原爆が落とされているが、これは長崎に落とされたファットマンがうまく爆発するように、また、パイロットが被曝せずに生還できるようにするための訓練だった。ウラン型の爆弾は、模擬原爆はつくられていない。
4.5トンの重さを持つ模擬原爆は、中島飛行機(武蔵野市)を狙い、実際には、柳沢(西東京市)に落ちた。
日本本土、49か所に模擬原爆が落とされた。

日本は普通の国ではない。原爆が2回も落ちた。しかも、福島の事故。

普通の国に等なりようがないし、なる必要もない。

原爆が欲しいというのは、国民が受け入れない。が、平和利用のための原子力発電を謳い、原発を稼働させれば、プルトニウムが手に入った。
これが、原発の正体。
ようするに、原爆のルサンチマンなのだ。

いつか憲法9条を改正し、戦争ができる一人前の国になる!そういう風に考えることを健全と信じている人たちがいる。
なぜ、このような発想に安住できるのか、わたしには理解不能だ。
地球がたくさんあって、ダメになったら、他の地球に住めばいいと考えているのだろうか?
どこかの国が戦争で勝利するということを目指し続けていると、人類自体が滅亡するという発想はSFではない。
第二次世界大戦で日本は死の淵を覗いた。
それほど遠い昔の話ではない。

原発を再稼働することと、集団的自衛権は無縁ではない。
集団的自衛権を有効ならしめるため、いつか9条をなくして、戦争を国際紛争の解決の手段の選択肢として持つためには、プルトニウムを持っていなければならない。
もんじゅの見果てぬ夢は悪夢なのに、夢見続けなければならない理由だ。

どうすればいいのか?

政府を取り換えればいいはずだ。その政府は、日本政府だけではないかもしれないけれども。

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