常識の罠 ~小渕優子経産相辞任

またもやお金の問題で大臣が辞任。
わたしも選挙というのを体験して、いろんな話を聞いたり、また、自分自身がいろんなアドバイスを受けた。
(このブログは、気分によって文体が変わってますがご容赦ください。)
右も左もわからずに出馬した2013年2月の西東京市議補選は、選挙についてのアドバイスをしてくれる人の話をすべて真に受けた選挙だった。
ロールプレイングゲームの駒のようにここで立って話せと言われればここで立って話し、こういう場合はこうするものだと言われれば、そのようにしなければならないと思った。
しかし、後から考えるとへんだと思うこともあって、へんだと自分が思うことは、大多数の人もへんだと思ってくれたので、「へん」という感じ方は大事にしないとぐちゃぐちゃになるなと思い直した。
一度目の選挙は、アドバイザー本人には悪気はなく、おそらく過去の選挙で同じような体験を重ねて「常識」を教えてくれたのだと思うのだけれども、自宅を選挙事務所にしているわたしに対し、選挙事務所には支援者は泊まり込むものだと言われて当惑した。仕方がないので、ボディガードとして叔父に泊まりにきてもらったのだが、普段使わない布団を干したり、夜食やら朝食やら、立候補者本人がなぜこんなことをしているのかと思ったのは正直なところで、頭のなかがぐちゃぐちゃになった。
また、アドバイザー氏は、ポスターを貼りに来てくれたボランティアに対し、ポスターが貼り終わったら、事務所に戻って食事(といってもおにぎり)をするようにと熱心に勧めて、おにぎりをだいたいこのくらいという算段で作ってきてくれた叔母は、足りなくなってコンビニでおにぎりを買うはめになった。今どきの都会の選挙で、おにぎりをもらってありがたい人はまずいなくて、ボランティアはさっさと帰りたかったのじゃないかと思うのだけれども、「選挙の常識」は権力的な様相を帯び、素人集団は振り回された。
もっとも、わたしの場合は、いわゆる市民選挙なので、違法性のないお金であっても期待する人はなく、公職選挙法に支出してもいいと書かれているお金についても、資金がないことにより支出できないというのが実態だった。(今回も。^^;)
観劇会にバスを連ねて何千万円などという話は遠い世界の話で、もっとせこく細かいお金の算段に苦労していた。
ボランティアに来てくださった方に、せめてコーヒーぐらいの支出(合法)も、度重なると無理というのがわたしの財力の正直なところで、「そのくらい当然」という常識の人たちには、非常識な人だと思われたことだろう。

さて、小渕大臣、毎年観劇をさせてくれるのは当然だと思っていた人が大勢いたのだろう。
たかだた数千円得をする「だけ」の、観劇ツアーが、大勢で行くとなると数千万円の利益供与の様相を呈することを、当の利益を受けていた人たちは無自覚だったろう。
選挙でお世話になっているみなさんが喜んでくれる観劇ツアーは、「市民のため」だったのかもしれない。不法行為は常識の顔をしてやってくる。そして実際に選挙をしてみると、へんてこりんなあれもダメこれもダメという公職選挙法の「ダメ」のおかげで、奇妙な金銭負担からまぬがれられることにも気がついた。合法であれ非合法であれ、さんざん奇妙なお金を期待された政治家にとっては、「ダメ」という法律によって助かる場合もあるというのが実感だった。(現在の公職選挙法を肯定しているわけではないです。)

今、クラウドファンディングでお金を集めるという流れができてきている。
千円、あるいは数千円、またお金に少し余裕のある方たちからは数万円、集めることによって不可能が可能になる。わたしも近々に立ち上げようとしている。

一方、たかだか数千円のことなので、割り勘にすればなんでもないものを、一人の大臣に支払わせると、数千万円の利益許与で何もかも失うことになる。後味の悪い観劇ツアーに参加した方たちは、いまどんな気持ちでいるのだろう?古き悪しき自民党的な常識は、もう通用しないのではないだろうか?

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