この大いなる矛盾はいったいどういうことなのか。
地元、西東京市の勉強会でつい先ごろ、村山談話を読む機会があった。戦後50年談話である。読みながら、目頭が熱くなった。
そして、安倍晋三氏の談話についても思い出した。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
こんな談話を残す人物と統一教会との癒着が不思議でならなかった。反共でありさえすればなんでもよかったのか。無償労働力として選挙の手伝いをしてくれれば何でもよかったのか。
統一教会が信者から金品を巻き上げる際の殺し文句は、「日本は韓国に悪いことをしたので、その罪滅ぼしをしなければならない」だったという。わたしは実際に日本は韓国に悪いことをしたと思っているし、子や孫世代が謝罪を続ける宿命を背負うといういい方はどうかと思うが、過ちを繰り返さないためには、歴史をきちんと学んで欲しいと思っている。
が、さすがに個人的に韓国への謝罪の意味を込めて、積極的に金品を巻き上げられたいとは思わない。
安倍氏は旧統一教会が日本が韓国に悪いことをしたと信者に説いて聞かせていることなど知らなかったとでもいうのだろうか?壺議員と呼ばれているみなさんはどうなのだろう?高市早苗氏は?
しかしなぜ、このストーリーに信者は懐柔されてしまうのか。恐らく、何らかの不幸なことが家の中で起こって、それが何かの祟りだと思い込むような心理状況にあるときに、「日本が韓国に悪いことをした」というストーリーはしっくり来てしまうのだろう。
日本の国家的悪事を個人的に償うという奇妙な論理。
国家がきちんと償わないから、国民が奇妙なことに巻き込まれているような気がしてならない。
となると、安倍晋三氏をはじめとする統一教会を利用し続けた自民党議員は、日本国民に韓国への謝罪を続けることを間接的に強要していたということになるのではないか?売国議員というより、亡国議員と言った方がいいか。
ところで、安倍晋三氏の戦後談話も全文を読んでみた。
ー日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。ー
謙虚な気持ちは持ち続けるつもりがあったようで、全体的には割とまともなことが書いてあった。
日本国民が個人的に韓国の宗教一家に賠償みたいなことを続ける必要はさすがにないと思う。
明日は衆議院選挙。期日前投票は長蛇の列になっている。自民党壺総理を選挙で勝たせるのは、なんとしても阻止したい。
以下、ご参考までに、歴代の戦後談話です。リンクしておきました。
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