「戦後のはじまり」から、「いま」を考える 第3回

地元、西東京市にある柳沢公民館での「現代社会を考える講座」に参加しています。
2016年からやっていたようなのですが、今年はじめて末席に加えていただきました。
とても勉強になります。

国会図書館のサイトに、「日本国憲法の誕生」があるということも教えていただきました。
https://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

「押し付け憲法」というキーワードは、①いつ出てきて、また、いったい②誰が、③誰に憲法を押し付けたのでしょうか。

①いつ出てきたのかという問いには、配布されたテキストに記載がありました。

日本国憲法の制定をめぐって、常に問題とされてきたのが「GHQによる押し付け」という問題である。ただし、この点が問題になりだすのは、憲法制定からかなり経過した時期であり、しかく制定過程そのものの問題としてではなく、再軍備が本格化し始め、自衛隊が創設された1954年に入ってからであった。つまり自衛隊を合憲化するために日本国憲法の改正が必要と判断した政治勢力(具体的には自由党やその後の自民党など)が、日本国憲法はGHQに押し付けられたものであるので、自主憲法をつくるべきだと主張し始めるなかで問題となったのである。(「近代日本の軌跡6 占領と戦後改革」(吉川弘文館、中村正則編)収録、3「日本国憲法の制定」(古関彰一))

いったい②誰がというのは、GHQが、ということになるのですが、今日の勉強からは、原案は確かにGHQだったけれども、日本側の手が加わっていることは明らかで、必ずしもGHQが、と限定されるわけではないということが見えてきます。

そして、③誰にというところが問題になるのですが、これは政府にということになるのです。

以下は、今日の講演からヒントを得、さらに石川健治教授の先の講演からもヒントを得て、わたしがそう思ったということですが、、、

となると、要するに「押し付け」というのは、「立憲主義」の性質ということになると思われるのですが、ここに大いなる誤魔化しがあって、プロパガンダとしては、押し付けられたのが国民であると、国民に思わせたいということなのだろうと思います。

アベ政権が96条を変えようとしたり、内閣法制局長官のクビをすげ変えて集団的自衛権を認めさせたり、強行採決で安保法制を成立したことにしてきたのは、立憲主義を全く理解していないからこその乱暴狼藉であって、自衛隊加憲などというのも、その手口は同じなのです。

立憲主義憲法(近代憲法)である以上、政府にとっては押し付け憲法になるのが当たり前なのです。権力者を制限するのが立憲主義なので、「押し付けられている」と政治家が感じると言うのは、GHQが云々という話ではなく、立憲主義を認めたくないということなのだと思います。

となると、大日本帝国憲法未満の憲法を政府は望んでいることになって、もし、そのような何も押し付けられない憲法が実現したとすると、明治どころか、江戸時代に逆戻りして、文明国ではなくなり、諸外国に不平等条約を押し付けられることになるのではないでしょうか。

ネット検索したところ、法務省のサイトに「憲法の意義」が載ってました。

https://www.moj.go.jp/shingi1/kanbou_houkyo_kyougikai_qa03.html

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