永遠のゼロと原爆と

模擬原子爆弾がわたしの住む西東京市にも落とされていたと知って、衝撃を受けた。 原爆は広島と長崎に投下され、それは誰しも知るところで、どこか遠くのことと考えていたわけではなかったけれども、その原爆、とりわけ原爆投下の主眼であった長崎のプルトニウム爆弾の投下に際し、米軍は細心の注意を払っていて、模擬原爆を実に50個も投下していたのだった。
今年4月に、「じゃがいも畑へパンプキン」という小冊子が発刊された。1945年7月29日に柳沢にロケット攻撃があったことは伝えられていたが、それが模擬原子爆弾であったと分かるのは平成になってからだった。
「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」というのがあって、この小冊子はその会のみなさんが刊行したのだ。

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(田無駅南口の「むつみ書店」で買えます。)

この事実を広く知らしめるために、わたしも何かお手伝いができないかと思って、Facebookページを作り、「非核・平和をすすめる西東京市民の会」のパネル展で展示するパネルの制作もお手伝いした。
8月4日に、都政新報が取材に来るというので、わたしもおじゃましてきた。
下記の写真はインタビューに答えている西田昭司さん。
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西田さんの話は面白い。なぜ、模擬原爆を50個も落としたのか。うち、1つは海洋投棄されているので、本土に落ちたのは49個。しかも、8月14日にも落としている。長崎の後にも落とす予定があったのだろうか。
東京には2か所落とされていて、うち一つは、八重洲となっているけれども、この模擬原爆は、皇居を狙ったのだという。(※皇居を狙うのは禁じられていたのだが、パイロットが、これに反して狙ったとのこと。。。)
この訓練はいったいなんのためだったのか。
通常の爆弾の最大級のものが1トン爆弾だったそうで、この模擬原爆は4.5トン。つまり、爆弾を投下するにあたって、B29の胴体部分がパカッと開いて、爆弾を落とした瞬間に、機体が一気に4.5トン分軽くなり、原爆の放射線被害から乗組員が逃れるために、その場から一目散でのがれなければならない。この飛行機を操るのは、非常に高度なテクニックが要求される。恐らく、ゼロ戦でそのまま死にましょうというのと、生きて帰ってきましょうというのでは、技術の要求水準が違うだろう。。。

ふと、永遠のゼロを模擬原爆を投下したパイロットで作ったらどうなるだろうと思った。あの頓珍漢な映画に、素直に感動してしまった人は、目が覚めるだろうか?

 

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