辺野古に行ってきました その1「沖縄県庁の巻」

7月6日に、Facebookのタイムラインにえみむめもちゃんの書き込みが流れてきて、エアーチケットが安く買えるという。ベッドの中で、iPhoneをいじって、10月1日出発、3日に帰る便を予約してしまった。10月にどのような経済状態でいるのかわからず、どのような仕事をしているのかも不明で、沖縄行きのチケットはキャンセルすることになる可能性も大だった。
が、わたしの運命は、大きく振り子があっちへこっちへと揺れ動いていて、沖縄行きはGoサインが出たのだった。

チケットを印刷したのも前日なら、ホテルを予約したのも前日の0時を過ぎてからだった。
民宿みたいなところがいいのではとある方からアドバイスを受けて、民宿に電話してみた。
辺野古に行きたいのだがと電話口で言うと、座り込みに行くのですかと聞かれたので、ちょっとびびって、いや座り込みというほどのことでもなくてと言葉を濁すと、島ぐるみ会議のバスは座り込みの人しか乗れないので、観光なら別の交通機関を紹介すると冷たく言われ、ちと反省した。経産省前テントに最初に行ったときのことを思い出した。
「座り込み」をじぶんがするというイメージが、今ひとつ、できていなかった。
けっきょく、民宿は空きがないとのことで、宿泊を断られた。
ネットであれこれ検索して、都ホテルを予約した。それなりのクラスのホテルでありながら、一泊1万円以下で泊まれたのだ。
辺野古に赴く活動家的には少々贅沢だったかもしれないが。

朝ベッドの中から予約したエアーチケットは、成田発だった。羽根田発ではなく、成田発であることも、あとから気づくような有様で、となると、成田までのお金が余計にかかるかと思っていたら、東京駅から1000円で行けるバスがあると教えて貰った。時代は活動家に風が吹いているような気がした。

がらがらとスーツケースを引き摺りながら八重洲のバス停にたどりついた。余裕を持ってでかけたつもりだったが、ぎりぎりだった。
機内手荷物のみで預ける荷物はなかったが、荷物チェックのところでとまどった。スーツケースの中に缶バッジ(「アベ政治を許さない」の缶バッジ)がたくさん入っていたので、金属の塊として反応してしまったのだ。ハイカットのスニーカーも一度脱いでくれと言われ、水筒の中の液体(麦茶)も臭いを嗅いでもいいですか?と聞かれた。はい、麦茶ですけども。。。
第一関門突破と言ったら大げさだけれども、飛行機に無事に乗り込まないことには、沖縄に行けないので、無事に乗ったときには、ほっとした。

初日はことさらに予定もなかったので、せっかく来たのだから県庁に立ち寄って、首里城にでも行ってみようかと思っていたところ、国会前のデモ会場で知り合って、帰りに一緒にビールを飲んだ女性(那覇在住)から、沖縄に来ているのなら会わないかとのお誘いがあった。
有難い話だった。

県庁には、翁長知事目的で行った。と言っても、会えると思っていたわけではない。わたしは宇都宮健児さんと翁長知事の対談ができればいいと考えていて、6月くらいに一度、電話で問い合わせていた。スケジュールがめいっぱいにつまっていて、予定を立てても二転三転してしまうので、今は無理だとの話だった。
ネット上のタイムラインを流れてくるニュースを見ても、翁長知事が、暇になったとは思えず、東京でイベントというのは難しそうだと思いつつ、せっかく来たのだから、職員の方に会うくらいのことをしようと思っていたのだ。ついでに、缶バッジを4色、プレゼントしようと思っていた。

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受付で、じぶんの用事らしきことをかいつまんで述べたところ、辺野古担当の職員さんが対応してくださるとのことで、ロビーで待つことになった。
職員さんは2人でロビーに降りてきてくれて、じぶんが勝手に考えていることを提案してみた。
本当は東京でイベントがしたいのだけれども、もし、宇都宮健児さんと一緒に県庁をお尋ねしたら、タイミングがよければ翁長知事に会えるでしょうか?(←まだ妄想段階です。。。)
タイミングがよければという消極的というか、遠慮がちな提案なので、拒否される要素もなく、フレンドリーに対応していただいた。
最後に缶バッジを翁長知事にとお預けした。
「わたしたちはできないですね。公務員なので。」と、冗談めかして職員さんが言った。「知事も特別職の公務員なので」、と言うので、まぁ、ネタにどうぞ、と言うと、ありがとうございますと、受け取ってくれた。

つづく

辺野古に行ってきました その1「沖縄県庁の巻」」への2件のフィードバック

  1. あずささん、ご無沙汰しております。

    私は沖縄は未だかつて行ったことありませんが
    沖縄を応援しています。

    『逃げることさえ許されなかった――ハンセン病患者の沖縄戦 吉川由紀・沖縄国際大学非常勤講師』
    http://amba.to/1PXVril

    『ハンセン病検証「療養所訪れて」 元患者団体など要望 ~アピタル~』
    http://amba.to/1KC2tVs

    反基地の象徴だった高校生「沖縄の苦悩、今も変わらず」
    http://goo.gl/Odk55P

    特集ワイド:国VS沖縄県、普天間移設問題で緊迫 これでも民主国家?
    毎日新聞 2015年04月06日
    http://goo.gl/eo0gJY

    ◇県民分断、まるで植民地支配 鎌田慧さん(ルポライター)

     昨年の名護市長選、同市議選、知事選、衆院選で、民意はいずれも「辺野古移設反対」を示しました。
    これほど強い「ノー」を無視して強行するのは、沖縄への蔑視、軽視からでしょう。沖縄侵略。僕は今の安倍政権の沖縄に対する攻撃をそう表現します。

     反対派は、名護市辺野古の「キャンプ・シュワブ」前のゲートで座り込みを続けています。
    そのゲートを固めるガードマン、移設工事の関係者、防衛省関係の国の出先機関……地元の人たちがたくさんいます。
    安倍政権は工事を強行することで、県民の分断を図ろうとしているのでしょう。かつての植民地支配の手口と同じではないですか。

     5日にようやく菅官房長官が沖縄を訪れて翁長知事と会談しましたが、事態が動く様子は見られない。
    菅官房長官は基地反対で盛り上がる沖縄の「ガス抜き」をもくろんだだけです。安倍晋三首相が今月末に訪米しますが、
    その前に米国に「問題解決に努力している」と見せかけるポーズでもあるでしょう。

     でも、僕は「ガス抜き」になるなんて思いません。僕は1975年の沖縄国際海洋博覧会のころから沖縄を取材していますが、
    沖縄の人は本当に怒っているんです。5日の会談で「(政府の言葉は)上から目線」「普天間も含め、基地は土地を強制接収された。
    普天間は危険だから、危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろ、と。こういう話がされること自体が政治の堕落だ」との翁長知事
    の激しい言葉に表れています。なぜこれほど怒っているか、戦争や基地の歴史も含め、本土側は考えるべきだ。

     戦争中は本土決戦の捨て石にされ、戦後は日本から切り離され、やっと復帰すれば今度は基地の押し付けです。
    県民が長年の差別構造に「ノー」を突きつけ、誇りを守ろうとしているのが今の状況。ことここに至った以上、政府がまず引く、作業を中断するしかありません。

     ◇地方自治の危機だと思う 嘉田由紀子さん(前滋賀県知事)

     私は翁長知事と面識はないし、辺野古に行ったこともありません。だから軽々にこの問題に発言はできません。

     それでも、です。

     翁長さんが建設作業の停止を沖縄防衛局に指示(3月23日)した時の会見をテレビで見て、思わず拍手しましたよ。
    国と対峙(たいじ)してモノ申すことがどれほど大変か、滋賀県知事時代の経験で骨身に染みているからです。

     2006年に知事選に立候補したのは国が進めるダム建設に強い疑問があったからです。人口減で利水用のダムはもう必要ない。
    水害対策なら別の手段がある。なのに、とにかくダムを造るという。おかしい。その思いからです。

     就任後、知事として計画を凍結させましたが、国はさまざまな横やりを入れてきた。例えばまさに県議会でダム計画の是非を
    審議している最中に、国は建設中止への反論を記者発表しました。明らかな地方自治への介入です。造ることそのものが目的化しているから、そんなことをする。

     基地問題と構図が似ていませんか。基地もダムも原発も、国は「公益」を理由に押し付けてくる。
    若狭湾沿岸に並ぶ原発で事故が起き、放射能汚染が広がれば琵琶湖は元には戻らない。
    原発に代わるものはあっても、琵琶湖の代わりはない。だからこそ徹底した議論が大事なのに、地方の声を聞こうとしない。

     翁長知事や沖縄県民も、思いは同じではないでしょうか。もう沖縄の海を壊してほしくない。基地を広げてほしくない。
    基地経済なしで十分やっていける。沖縄らしい誇りある豊かさを求めたい−−。滋賀県らしい豊かさを追求したいという私たちの願いと、
    似たものを感じます。私が翁長さんであれば、同じ停止指示の決断をしたと思う。

     それに横やりを入れてきたのが国です。これは地方自治の危機だと思う。全国の知事はどう考えているのでしょうか。あまり聞こえてこないのが気になります。
     

    ◇独裁とどこが違うのか 目取真俊さん(作家)

     一言申し上げたい。日本政府や本土のみなさん、あまりに虫が良すぎませんか。

     日米安保条約では米軍が日本を守る代わりに、基地を提供する義務があります。でも義務はほとんど沖縄が負っている。
    安保の恩恵には浴したいが義務は負いたくない、ということですか。この事実を直視したくないから、本土の人もメディアも問題を見ないようにしている。

     みなさんが見たくないものに戦争の歴史がある。4月1日は米軍が沖縄本島に上陸し、沖縄戦が始まった日です。
    地上戦を経験した沖縄人は、軍隊が民衆を守るものではないことを肌感覚で知っている。銃殺、食料強奪、暴行……米軍より
    日本軍のほうが怖かった、という話もある。私も身近に聞いて育ちました。

     本土では基地問題は安全保障や政治の問題でしょうが、沖縄では日々米軍車両やヘリを目にする生活の問題です。
    さらに戦争体験や沖縄人としての誇りも絡み合い、基地問題という言葉が持つ重みが違う。この認識がないと沖縄と本土の断絶は埋まりません。

     かつて沖縄が本土復帰を願ったのは日本国憲法の下で暮らしたかったからです。人権が保障され、9条がある。
    なのに今や集団的自衛権行使が容認され、9条も危うい。このまま日本にいて沖縄人は幸福になれるか、というのが我々の率直な思いです。
    菅官房長官は「粛々と」と繰り返します。つまり聞く耳は持たないということ。独裁国家とどう違うのでしょう。

     「日本は民主主義だ。だから沖縄も国全体や多数の国民のことを考えろ」と言う人がいます。民主主義は公正、公平を前提に、
    等しく義務を負い等しく権利を享受する制度。義務を少数に押し付けるのは暴力です。民主主義を口にする人は、公正、公平を前提にしているのか? 
    沖縄人は、そこを問うているのです。安倍政権の下、民主主義の前提がここまで崩れていることを自覚すべきではないですか。

    ==============

     ■人物略歴
     ◇かまた・さとし

     1938年青森県生まれ。91年「六ケ所村の記録」で毎日出版文化賞。著書「沖縄 抵抗と希望の島」など多数。

    ==============

     ■人物略歴
     ◇かだ・ゆきこ

     1950年埼玉県本庄市生まれ。京都精華大教授などを経て2006〜14年滋賀県知事。現在はびわこ成蹊スポーツ大学長。

    ==============

     ■人物略歴
     ◇めどるま・しゅん

     1960年沖縄県今帰仁村生まれ。97年「水滴」で芥川賞。小説のほか「沖縄『戦後』ゼロ年」など評論・エッセー多数。

    原爆の図丸木美術館
    http://www.aya.or.jp/~marukimsn/

    ●コンサート HIROSHIMA NAGASAKI YAIU FUKUSHIMAへ 
     きょうだいを殺しに・・・・・・どんなに美しい言葉で飾られようと・・・・・・ 2015/10/31

    10月31日(土) 午後2時開演 全席自由2800円 (丸木美術館友の会会員は800円割引)
    出演:岡原真弓(歌・アコーディオン)、湯田亜希(ピアノ)、向雲太郎(舞踏)、草刈麻紀(クラリネット)、生命の木 空へ「あらゆるものの中に」をうたう会(有志参加者)

    ~あしたへのメッセージ~
    「きょうだいを殺しに」(高良留美子 詩・萩京子 曲)、「生命の木 空へ」(林光 詩・曲)、「明日ひとつの歌が・・・」(林光 曲)、「原民喜のスコア」(朝比奈尚行 詩・萩京子 曲)、「ラ・カンパネラ」(F・リスト 曲)、「太陽の旗」(林光 詩・曲)他

  2. コメントありがとうございます。
    日本政府はほんとうにひどいですね。
    日本は、憲法9条を持つ前は本当に野蛮な国だったのではないかと思います。
    そして、また、今、化けの皮を自ら剥ぐように、野蛮な国家になりさがろうとしています。
    沖縄の怒りがものすごくよくわかります。
    今まで、黙っていた方が不思議なのです。
    鳩山さんが批判されますが、鳩山さんが登場しなければ、沖縄が声を上げること自体が否定されていたままだったのだと思います。
    いま、東京からも沖縄を応援しているのだという意思表示のために、宇都宮健児さんと一緒に辺野古に行くツアーを計画しています。

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