追悼 後藤健二さん

日本人が人質に冷たいのは、未だに「生きて虜囚の恥ずかし目を受けず」と刷り込まれたままの人が多いからだろう。
切腹文化は、未だ健在。
原爆は、ヒロシマ、ナガサキのみでなく、そして、日本のみでなく、この地球に落とされ、原発事故は、チェルノブイリ、ヒロシマのみでなく、そして、ソビエト連邦、日本のみでなく、この地球に取り返しのつかないダメージを与えたのに、わたしたちは、未だに、美しく戦うという幻想に酔うことを辞めないのだ。
パラダイムの外から眺めれば、陳腐極まりないが、パラダイムの内側の酔っぱらいは、勇ましくあることの美に酔って恥じない。
美しく死ぬことに最大の価値をおけば、われわれは滅びるしかない。
その滅びは、国家の滅びではなく、人類の、ホモサピエンスの滅び。
第二次世界大戦を経て、現代美術は美しくないものに美を探ろうとした。
新しい美を見つけないことには死んでしまうからだ。これほど切実なことはない。
安倍晋三は「テロリストを絶対に許さない」と言った。
「特攻隊を絶対に許さない」と言う異国の人がいたとしても、彼にはなんの関心もないだろう。
パラダイムの内側の揺り籠の内で、特権階級の幸福の王子は、空調の効かない世界を知らない。
殺されてしまった後藤さんが、もう一度マイクを手にすることがあれば、「絶対に許さない」が、テロリストへの有効な回答でないことを、切々と訴えるだろう。
後藤さんの優しさをわたしは信じて、無力でちっぽけな祈りを捧げていた。
心より、ご冥福をお祈りします。
わたしたちがあなたの命に、テロリストの心に、無力であったことをお詫びします。
危険な紛争地に、命を賭して赴かれたことに感謝します。

追悼 後藤健二さん」への2件のフィードバック

  1. 本当にそうですね。
    後藤さんの尊厳を、願いを、希望をこれ以上踏みにじってはならない。
    この死を、さらに踏みにじろうとしている安倍
    許せない。許してはならない。
    頼む日本人よ。どうかどうか。
    後藤さんの魂の訴えを聞いて。
    繰り返さない。憎しみではなく、彼の願いを。

  2. 安倍晋三が平和を祈っているとは到底思えません。
    戦前のパラダイムにいるわけではなく、第二次世界大戦を経験したという時代の高さ(過去を振り返ることができる)にいながら「テロリストを絶対に許さない」というメッセージはあまりにも陳腐です。日本政府は、右往左往して見せることはしましたが、人命救助のためには何もせず、何もしないことを「テロリストに屈しない」と呼んでいたとしか思えません。

    「テロリストに屈しない」=「人質殺され放題」

    というわけです。

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