【西東京市】人権バスハイク~多磨全生園

きょうは(もう昨日ですね)、西東京市協働コミュニティ課が主催する人権バスハイクに参加してきました。毎年やっているのだそうですが、はじめて気付きました。もっとも今までの暮らしだったら気付いていても参加するのは難しかっただろうと思います。

多磨全生園、ハンセン病の療養施設です。
わたしの住んでいる西東京市の隣の隣の東村山市に多磨全生園はあります。
この中に国立ハンセン病資料館があり、最初にここのホールで映像を見て、語り部のお話を聞きました。それから展示を見て、建物の外にでて園内を一周しました。
こんな風に言っていいのかどうかわかりませんが、「日本のアウシュビッツ」と思いました。
ハンセン病に罹患したこと自体、たいへんなことなのに、その病気に罹患したことを理由に繰り返される差別。なぜ、こうも簡単に、人は人を差別するのでしょう。
下の写真の石碑は「人権の森宣言」。宮崎駿監督の提案で、ハンセン病の歴史と3万本の樹木を残そうという構想が生まれたのだそうです。

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ハンセン病の施設は、療養所という名前が付いているのですが、強制収容、強制労働では、療養どころではなかったように思われます。語り部の方から、ハンセン病が伝染力が弱く、特効薬も見つかって、完治する病気だと判明した後に、患者を開放しようかという話が持ち上がった時に、複数の療養所の園長が、これに反対し、逆に強制収容をもっとすすめるべきと言ったというエピソードが紹介されました。「搾取」という言葉が浮かびました。最低賃金もなにもない仕組みの中で、荒れ地を開墾し、強制労働。。。。だれかがピンハネしていたと考えた方が自然なのではないでしょうか?
下の写真は「望郷の丘」に上って撮ったものです。患者作業で3年がかりでつくった小高い丘。故郷の方角を眺めては涙した場所だそうです。

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下の写真は、お母さんと子供のお遍路。ハンセン病に罹患して、故郷にいられず、遍路に出て、野垂れ死にする人も多かったそうです。

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2001年に熊本地裁が画期的な判決を出し、当時の小泉首相が控訴断念を宣言、ハンセン病患者の人権は回復したかのように見えました。
しかし、人々の心につもりにつもった差別の意識はそう簡単にはなくなりませんでした。
家族に会いたい気持ちがかなえられないままに亡くなった方たち、一旦は、帰郷したものの、療養所に戻ってきてしばらくしてから自殺してしまったおばあさん。。。。
わたしたちは人の心に感動することもたくさんありますが、人の心に、それもとても近い関係にある人の心に絶望してしまいます。
他の人みんなが差別していて、それが常識みたいになっているときに、わたしたちは勇気が持てないのでしょうか。一人、差別しないと心に決めた人が現れることが、差別されている人に、どれほどの勇気を与えるか。いろんなことを考えました。参加して本当によかったです。

西東京市では毎年この時期に、人権バスハイクをやっているとのことです。40人乗りのバスがほぼ満員でした。市の全人口からくらべれば、少ない人数ですが、すばらしい事業だと思います。西東京市のみなさん、来年、参加してみませんか?

来年まで待たなくても、11月3日は毎年お祭りがあるそうです。実は、このバスハイクで、中学時代の同級生と再会しました。彼女は全生園の近くに住んでいたことがあったそうで、自転車でよく来ていたのだそうです。いろいろと教えて貰いました。

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