9月1日が傍聴できなかったのですが、8月29日からずっと傍聴してきました。
今回、傍聴してみて、多くのことに気付かされました。
自民党議員が気前よく質問時間を余らせ、他の議員はぎりぎりまで質問を続けることも新たな発見でした。
第3回定例会のメインテーマは、7月30日に起きた中学生の自死事件だったと言っていいでしょう。初日の本会議は、午前中がこの事件に関する各会派からの質問に終始し、また、一般質問でも、繰り返し質問がなされました。
児童虐待について、納田議員はかなり知見を有しているようでした。また、声を震わせながら質問した石田議員は優しいお人柄が現れていました。これに対し、保谷なおみ議員の「お前なんか産まなかった方がよかった、などと言う親に親の資格はありません。そんな親は棄てて早く逃げ出して下さい」というメッセージには、物事の捉え方のあまりの単純さに呆れ、児童虐待に関する知見のなさを感じました。子どもがどれくらいじぶんの親を肯定したいか。繰り返し繰り返し裏切られる子ども。。。たすけてと言う言葉も枯れて、自殺を選んだ子。逃げ場のなさ。中学生が家出して、どうやって生きて行くのでしょう?家出を見つけた警察は、家に帰りなさいと子どもを説得するのではないでしょうか?
わたしは1990年代の終わりにインターネットで情報発信をはじめたのですが、検索エンジンに自分のサイトを紹介すると、すぐに援交娘からの書き込みがあり、それをきっかけに、児童虐待の被害者の叫び声の渦の中に巻き込まれました。わたしはそれを望んでいたわけではなかったのですが、話を聞いて欲しい少女たちの声に耳を傾けることになりました。それは、養護施設で育ったこどもたちであったり、家庭内で虐待を受けて生き延びたサバイバーのすすり泣きの世界でした。援交娘と児童虐待がどう結びつくかというと、家の中に性虐待のある少女は、じぶんの性に価値などなければいいと思い、金で換算できればいっそうのこと楽だと思うのです。しかし、性は、金で換算などできない。。。。できるはずがないのです。
議会の話に戻します。
小林たつや議員について、どんな発言をするのか興味深く傍聴したのですが、4年前に慰安婦問題に関する決議を出したときに反対したとのことで、朝日新聞の報道に関する批判をし、「行き過ぎたフェミニズム」という発言がありました。昨今、朝日新聞へのバッシングが気になるところですが、強制連行がないと、慰安婦がないことになってしまうらしいのが、不思議でなりません。慰安婦問題について、性奴隷など存在しなかったと主張したい人たちは、いわゆる「売春婦」という人権のない人たちないし人権を蹂躙してもいい人たちがいると思っているのではないかと思われます。わたしは「売春婦」に人権があると思っていて、むしろ、買春夫を批判していますので、小林たつや議員のような方とは考えが180度違ってしまうのでしょう。慰安婦問題で逆ギレしている人たちは、日本の美意識、すなわち、秘すれば花、秘さざれば花ならずというパラダイムの内に住んでいるのだろうと思います。従軍慰安婦問題は日本人ではありませんので、そのような美意識の持ち合わせはなく、告発したのだろうと思います。もちろん、日本人でなかったとしても、自らが売春婦であったと告白することに、勇気が要ったのは間違いないでしょうが、想像するに、暗黙の守秘義務が社会的差別によって担保されている日本のパラダイムと外国のパラダイムは異なっているのではないかと思います。パラダイムが異なるということに想像が働かないので、自国のパラダイムの内にあって、告発するとは何事か(守秘義務があるだろう!)と、逆ギレしているわけです。
(※日本人の従軍慰安婦もいるとのことです。。。)
余談ですが、わたしは今朝、議会運営委員会も傍聴しようと思い、9時半過ぎに田無庁舎に着きました。エレベータで小林議員と乗り合わせたので、「お父さんも議員だったのですか」と聞くと、「おじいちゃんも議員だった」とのことで、3代目なのだそうです。。。。
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