きょうは、西東京市、芝久保公民館で、平和を考える講座の一環として、「今、憲法と平和について学ぶ」中村孝文(武蔵野大学副学長)があり、参加してきました。
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/event/kyoiku/kouminkan/shikubonokouza.html
この講座は4回のシリーズになっていて、定員20名との募集で、次回、23日は、非核・平和をすすめる西東京市民の会主催の夏休み平和映画会(「一枚のハガキ」上映)が重なっているため、当初申し込みをしていなかったのですが、締切をすぎてもし空きがあればと思い公民館に電話してみたのです。お盆休み中のためか、集まりが悪く空きがあるとの返事だったので、行ってきました。
今年は丸山眞男、生誕100年にあたるとのことで、丸山眞男及び、憲法について、たいへん興味深い講義でした。
日中戦争が宣戦布告がないままに、紛争が繰り返される形でずるずると戦争に突入していったこと。第一次世界大戦で戦争がそれまでの戦争と異なり、総力戦に陥り、一般市民が戦争に参加することを余儀なくされ、これに伴い情報統制が徹底的になされたこと。大日本帝国憲法の人権条項がことごとく制限付きであるのに対し、日本国憲法は人権を無条件に認めていること、これに対し、自民党の憲法草案が人権を制限する形でしか認めておらず、「個人」という言葉を消して「人」という言葉を使っていること。日本の憲法は、日本国憲法で初めて立憲主義的な憲法となったのにもかかわらず、自民党草案は、立憲主義を否定していること。憲法改正について、県議会レベルでの議決を出していること。この手法が「日の丸・君が代」を国旗国歌にしたときの手法と同じであること。神社本庁や神社町(各都道府県にある)が教育勅語を掲げ、国家神道の復活を求めていると思われること。ドイツが、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」をはじめとして、戦争に対し、優れた考察をしているのに対し、日本は丸山眞男ぐらいしか思い浮かべることができないこと。などなど、講義は2時間続き、その後、さらに質問タイムで1時間、応対してくださいました。
わたしもいくつか質問したのですが、先の砂川事件の田中耕太郎最高裁長官のお名前がレジメにあったことから、そのことを伺いました。レジメには、田中耕太郎が1941年2月に執筆を禁止されたという一文があったのです。中村先生は、戦後、丸山眞男が権力に対し、常に懐疑的であったのに対し、田中耕太郎は権力に対して親和的で、自衛隊や米軍の駐留に対しても、疑問に思っていなかったのだろうとおっしゃいました。もっとも、権力に疑問を持たない方だったとしても、法律家として、三権分立を侵すことがいかなることかは認識していただろうと思うのですが。。。。
西東京市、こうしていろんな団体の活動に目を向けてみると、とてもまじめな方が多く住んでいらっしゃることに勇気づけられます。
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