双葉町町民「7000人の復興会議」

双葉町町民「7000人の復興会議」に参加してきました。
双葉町から西東京市に避難している女性と、「原発」都民投票を通じて知り合い、友達になりました。彼女から昨日今日の会議についてのお誘いがあり、急遽、蒲田にある大田区産業プラザに行ってきました。

会議は、7つのグループに分かれて、ワークショップ形式で、これからの双葉町をどうしていきたいのか、町民の希望を聞くと言う新しい試みでした。
それぞれのグループが最後にみんなで話したことを発表したのですが、中には何も解決していない中で前向きに考えられないという結論に達したグループもあって、傷の深さを思い知らされました。
わたしは傍聴人であるにもかかわらず、友人の意向もあって、双葉町のワークショップグループの一員にさせていただきました。
ワークショップで一緒のメンバーになった人たちは、同じ双葉町出身と言っても、お互いに顔見知りと言うわけではなく、最初はうちとけない感じでしたが、一年に一度開催していた体育大会の話や、駅前のラーメン屋さんの話、ぽつぽつと話初めて、懐かしさに笑顔がこぼれたときには、ほっとする思いでした。
みんな故郷への思いを強く抱いていましたが、5年で帰れるなどとは誰一人思っていないという発言もあり、土地としての双葉町にはそう簡単に帰ることはできないと考えていました。
土地としての故郷を取り戻すのは困難でも、コミュニティとしての故郷は取り戻
せるのではないかと強く感じました。
同じ福島と言っても、浜通り、中通り、会津と全然違うそうで、双葉町のある浜
通りは雪も降らずとても気候のいいところとのことで、海風のある同じような気
候のところに住みたいとおっしゃっていました。
駅前の大幸(たいこう)というラーメン屋の名前をグループ名にしたのですが、
このラーメン屋さんは畳で、しょうゆラーメンが他にはない味だったそうです。
大幸を復活させて、故郷の人たちと近所に住む。
それなら、そんなに遠くない将来に実現できそうな気がします。
双葉高校もとてもいい学校だったようで、皆の誇りだったとのこと。
双葉高校を幼稚園から大学まで作って、仮のと言わず、理想的な新生双葉町ができたらいいのにと思いました。ひどい目に会ったのだから、今度はみんながうらやましいと思うようなコミュニティを作ったらいいと思います。

故郷の単位として、福島では広すぎ、双葉町のそれぞれの部落と考えると狭すぎるとのこと。双葉町がちょうどいいが、双葉、浪江、大熊、富岡を合わせて双葉市と考えるという案も出ました。

できることがあれば、わたしも応援したいと強く思いました。

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