映画「100,000年後の安全」(谷中の家にて)

谷中の家で開催された月1原発映画祭に参加してきた。
上映されたのは、「100,000年後の安全」。フィンランドに建設中のオンカロのドキュメンタリー映画。この映画を見て、小泉元首相はオンカロを見学したいと思い、原発推進企業にお歴々と一緒に出かけ、お歴々の想いをよそに、脱原発の思いを強くして帰ってきたのだそうだ。
わたしはもともと脱原発だけれども、この映画を見てより一層、脱原発以外に選択肢はないという思いを強くした。
オンカロは高レベル放射性廃棄物を入れ終えたら分厚いコンクリートの壁で封鎖する。オンカロについて、なんとかして後世に伝えるか、あるいは忘れ去られてしまった方がよいのか?スクリーンの向こうの専門家は答えの出ない難問を反芻していた。
オンカロを掘り当てた後世の知的生命体は、掘削技術だけあって、放射能については無知である可能性もある。。。例えば、われわれがピラミッドについて、決して正確には理解出来ないように。。。
ふと、ピラミッドの呪いが頭の隅をよぎる。われわれがわけのわからない厄災を「呪い」というわけのわからない言葉で片付けている無知を、墓を暴くなと警告したはるか昔のご先祖様は嘆かわしく思っているかもしれない。われわれが自分たちの方が知的レベルが優れていると思い込んでいることも含めて。。。
ちなみに、ウィキペディアの記述によれば、「クフ王の大ピラミッドについて、1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行した。それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円になるという(金額は当時のもの)。」
4500年前に作られたピラミッド、総工費1250億円という数字は、われわれにはつくれないということを現わしているのではないか?
そして、100,000年後の知的生命体がわれわれと同じ人類であるという保証もなく、彼らにわれわれの遺言が通用するかどうかも疑わしい。進歩しているという保証はどこにもないのだ。
明白な負の遺産をわれわれは後世に残す。これ以上、負の遺産を積み上げてどうするつもりなのだ?想像のつかないものをなしとすることはたやすいけれども、わたしは、わたしたちの世代の責任を少しでも果たしたいと思うのだ。

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