ブログを更新すると、TwitterとFacebookとGoogleに流している。
昨日のブログを読んだ子どものいる友人から、ごまかしが効かない子どももいるのだと指摘された。泣きやまない子どもに途方に暮れる母親。。。。確かにその通りで、子育てをしていないわたしは、子どもと都合のいいときしかかかわっていない。
「通報」をしたがらなかったわたしの母は、何も近所づきあいばかりを考えたわけではなく、子育て中の苦労を考えたら、子どもが泣いていると言って通報されたらたまらないだろうと、お母さんを思いやったのかもしれない。(母にとって、泣きやまなかった子どもはわたしということになる。)
母が亡くなった後に、母が書き遺したものを読んだ。
若いころの恋愛の悩みは、じぶんが書いたのかと思うくらい、物事に対する感じ方がそっくりだった。会社勤めをしていた母が社内報に書いたコラムに「うちの子はまだ小さいので」とあって、誰のことかと思ったら、わたしのことだった。
子どもを持たない身はいつまでたっても子どものままだ。
1990年代の終わりに、わたしはネット上でウェブサイトを作って、発信しはじめた。2週間もたたないうちに、援助交際をしているという女の子からの書き込みにうちのめされて、ネット上で、虐待を受けていた人たちとつながりを持った。親でも親戚でもない同性の年上の人に話を聞いて欲しい女の子たちがいて、わたしはいつのまにか、話し相手になっていた。
誰かに助けて欲しかった女の子たち。子どもは他の世界を知らないので、親に悪いと言われれば自分が悪いと思った。そして、不当な扱いを受けることを耐え忍び、生き抜いて、自らの環境が不当なものであることに気付き、家を出ることを選んでいた。。。。
母にその話をすると、黙って聞いていた。母はじぶんのことではないとはいえ、どこか知らないところの「親」の悪徳非道を批判する娘を見て、心ならず狼狽していたことだろう。
さて、通報。。。。それでも通報すべしというためには、通報された人への風当たりを弱くする必要があるかもしれない。通報が増えれば、大多数は冤罪だろう。子どもは泣く。いつまでも泣く。。。不当に扱われている場合も、そうでない場合も。。。。
夜泣きについて、エピソードをひとつ。
わたしの父は夜泣きを泣きやませる才能があったそうだ。父にその話をすると、「子どもは怖いんだよ。だから、包み込むように抱いてやると安心して泣きやむんだ」
ブログの文体を整えるつもりでいたのだけれども、きょうは、というか、この文章は、このように書く気分だった。
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