皆既月食

わたしも安物の一眼レフでチャレンジしようと、首からカメラ掛けて家のガレージをうろうろしていたのですが、友人のお義兄さんの撮った写真が送られてきて、無駄な努力をすることを辞めました。お義兄さんの許可を得て、写真を掲載させていただきます!
わたしは一句ひねることにしました。

月影でちょっと照れてる天王星 あずさ

Twitterを右側に表示させました

SNSの更新は気楽にできるのですが、ブログはやはりそれなりの時間がかかるので、一日にいくつかのイベントがあると、発信することが多すぎてエネルギー切れとなり、何も書かないで終わってしまいます。
右側のTwitterをご覧いただき、山口あずさの生存確認をしてしただければと存じます。

なお、ハーブ園(新倉農園)に行ったときには、説明を聞きながらハーブの写真を撮ってTweetしました。ブログにまとめるつもりでいたのですが、つぎからつぎにネタができてしますので、過去に追いやられてしまいました。

農業講座も文字通り収穫の秋で、採れたてブロッコリーの甘さに感動したりしているのですが、エネルギー切れで掛けず、先週の日曜日には、非核・平和をすすめる西東京市民の会で「旧日立航空機株式会社変電所」に行きました。
写真は事前に見ていたのですが、実際に建物の銃痕を見ると、ウクライナの惨状を目の当たりにしているような錯覚に襲われました。
日本は戦争が始まってすぐこうなったわけではないが、ウクライナはすぐに惨状になったという感想を漏らしたところ、日本は戦争を仕掛けた側なので、中国に対して酷いことをしているのだと諭されました。
ロシアがこの状態になると戦争が終わるのかもしれませんが、それまでに流れる血の量を思うと、気が遠くなります。

そして、木曜日には、お隣の南町(家から自転車で5分ほど)で、ウクライナ料理を食べてきました。その翌日は同じ場所でルーマニア料理。

ヤギフェスの準備があり、内田裕也83歳バースデーパーティの準備があり、朝の駅頭街宣があり、ポスター貼りがあり、チラシ撒きがあり。。。

以下はご案内。。。。

内田裕也生誕83年パーティ 韓てらにて
2022年11月12日 (土) 13:00 – 16:00

ヤギフェス 柳沢公民館にて
2022年11月13日 (土) 13:00 – 16:00 ワークショップ(非核・平和をすすめる西東京市民の会)過去2回の学習会(川崎哲さん講演、高瀬毅さん講演会)と「忘れてはいけない記憶」を放映します。
2022年11月20日(日) 13:00 – 14:00 ステージ発表(いばらきのり子の家を残したい会) ※合唱と朗読と両方出ます。

「市議会で行動する」
2022年12月11日(日)18:15 開場 18:30 開始 コール田無 多目的ホールにて
登壇 山口あずさ・山田真・森てるお
ゲスト 平井竜一

ぼうごなつこさんに推薦していただきました

漫画家のぼうごなつこさんに推薦していただきました。
安保法制違憲訴訟の事務局におりましたときに、ぼうごさんに漫画を使わせていただけないかと思い、ご連絡しました。
2015年に安保法制法案が審議されていた時期に、わかりやすく問題提起をする漫画を数多く描かれていたことから、過去の作品を活用させていただくことになりました。
昨年末には、「100日くらいで理解できる憲法入門」出版にあたり、96条に関するエッセーを提供させていただきいました。

ぼうごなつこさんからのメッセ―ジ

山口さんといえばパワフルなアイデアマンですが、その泉のように湧き出るアイデアを実行する粘り強さも持ち合わせておられます。政治家に不可欠な人権への理解や憲法を尊重する意識も強い。なんせ長年、安保法制違憲訴訟の会の事務局を務められてきたのですから。山口さんに投票できる西東京市の皆さんがうらやましい!

推薦しますのページを更新しました。

渡辺一技さんと友田シズヱさんに推薦していただきいました

安保法制違憲訴訟の原告仲間でもある作家の渡部一枝さんと、西東京市の市長選挙異議申し立ての活動を一緒に行って「どうぶつ村のせんきょ」の英訳をしていただいた元国際公務員(ILO)の友田シズヱさんに推薦していただきました。

渡辺一技さんからのメッセージ
「西東京市の明日のためには、絶対にこの人の力が必要です‼︎
私はこの人、山口あずささんを応援しています。」

友田シズヱさんからのメッセージ
「西東京市で2021年に行われた市長選挙戦の終盤で、違法なビラが法定ビラとして配布されたが、選挙結果が歪められたのではないかとのことで、市民有志が山口あずささんを中心に「私たちの一票を守るプロジェクト」を立ち上げた。元西東京市民だった私もそれに賛同し、支援に加わり、山口さんと密接に関わった。彼女の法的根拠を基に正義を追求する姿勢、そのバイタリティ、エネルギッシュさには脱帽!!
彼女の様な人物が市議会に加われば、さぞかし議会が活性化されるでしょう。」

推薦しますのページを更新しました。

今週の畑

今週の畑最初はこんな感じでした

今週の畑はこんな感じでした。
雨が強く降ったので、土の表面が固くなっています。これを柔らかくするために、道具をつかって表面をさっと掘り返す感じで、なぜていきます。

上から二枚目の写真にある道具はヨーロッパのものだそうで、保谷先生は名前を忘れたとおっしゃっていました。

雨が降ったので土の表面を柔らかくします

実際にころころと転がしてみると、気持ちいい感じでころがって、土の表面を掻いているような感触でした。

これも土の表面を柔らかくするものです

 

 

 

 

 

3枚目の写真にある熊手のような道具(熊手でいいのかな?)も、同じく土の表面を柔らかくする道具です。

表面を一通り軽くなぜていきます。

 

 

土の表面を平にします

次に、土の表面を平にします。

保谷先生は鮮やかです!

 

 

 

 

 

土の状態が整いました

準備完了です!

 

 

 

 

 

 

マルチを敷きます

今日もマルチを敷いていきます。ビニールに書いてある字が読める方を上に向けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルチの端をひっぱります

しっかり張っていきます。

皺にならないように体重を使います。左右の足でビニールを踏んで土をかぶせます。

 

 

 

 

 

 

 

カブの種

一列はカブです。播種は3粒ずつです。

 

 

 

 

 

 

3粒ずつ種まき

種が3粒入っているのが見えるでしょうか?この穴はペットボトルの蓋を土の表面に押し当てて開けました。カブの種は青みがかった仁丹のようです。
カブは上等な種を買わないと、割れてしまうのだそうです。

 

 

 

小松菜の種

小松菜と春菊は半列ずつ播種をするのですが、霜に弱い春菊を、日がよく当たる方に植えることにして、手前に小松菜の種を撒きました。

前回の種(ほうれん草)よりも少し小ぶりですが、色は同じ青です。

 

 

3粒ずつ種まき

3粒ずつ播種しました。

 

 

 

 

 

 

春菊の種

コーティングなしの種が新鮮に思えました。春菊の種は、4粒から5粒撒きました。

東村山散策

小島くん(シェフ)、黒島くん、美太郎さん、山口

日曜日、Facebookで再会した高校時代の同級生とミニ同窓会をしました。
場所はクラスメートの小島くんのお店「ロ.スティバーレ」。
ここでも国葬談義になったのですが、オリビア・ニュートン・ジョンがオーストラリアで国葬になるとか、マラドーナがアルゼンチンで国葬になったとか、素直に納得できる人物名がでてきて、なぜ我が国は。。。と不思議でなりません。
ここらへんをよく散歩するという美太郎さんが、都内唯一の国宝がこの近所にあると教えてくれたので、帰りに寄ることになりました。

正福寺地蔵堂(通称:千体地蔵堂)、パンフレットによれば、建立は1407年だそうです。1000体を超えるお地蔵様が堂内に祀られているそうで、都内唯一の国宝木造建造物なのだそうです。
思いがけず観光気分になったので、駅の反対側にも行ってみました。

実は大学教授の美太郎氏とアイーン。

使わないと消えるお金

ときどき、脳裏に浮かんでくる妄想なのですが、「使わないと消えるお金」をありとあらゆる人に持たせたらどうなるでしょうか。
電子マネーで午前0時に100円が発生し、この100円は24時間以内使わないと消えてしまうのです。
が、使っても使わなくても、午前0時には100円は常あるという状況を作り出すのです。
西東京市は安っぽいカードに「プレミアムカード」と印刷して、5000円で7000円分使えるカードを発行しましたが、スマホのある人はスマホに、ない人はカードに100円が午前0時に追加されるのです。このお金は貯蓄不能なのですが、すべての人が手持ちが一銭もないという状況を作り出すのです。
そして、このお金は使わないと消えてしまうので、使わないでいて翌日200円にはならないのです。
100円では暮らせませんが、朝起きたときに、少なくとも100円が手元にあれば、餓死はしないはずです。
このような状況を作り出すのに、いくらかかるでしょうか。
100円を使うことを楽しみにする人も出てくるでしょうし、このカードマネー用の商品も出てくるでしょう。
これに対して、たかだか100円を使うためにどこかの店にいくのは面倒だという人も大勢いるでしょう。
国家でなくてもいいので、ソフトバンクとか楽天とかが、魔法の100ポイントサービスを始めてくれてもいいです。
ちなみに、経済学者がそのうち解説してくれると思いますが、コロナ禍で税金のかかるお金をばらまいてくれたお蔭で、市の税収はかなり増えたようなのです。
国家が仕組みを作って国民全員に配ってくれるのであれば、この100円は課税の100円で、年間で使った分を所得として換算してもいいです。
そうすれば、消費税と所得税が同時にかかる100円をわざわざ使うことにエネルギーを使う人は、減るでしょう。
税金のかかりようのない人だけが使うことになれば、予算も少なくてすむでしょうし、消えるお金でコーヒー一杯の売上が伸びれば、コンビニの経営も改善するかもしれません。
餓死のしようがなくなる国をつくってみたいです。

離婚談義

夕方のNHKを視聴していたところ、両親が離婚し、一緒に住んでいない親に会えないとか、父親の話をすると母親が機嫌が悪くなるとかの話を放映していて、わが身の特殊ケースを紹介してみようという気持ちになりました。
ご参考までに、書いてみます。

わたしは生まれたとたんに両親が諍いをはじめ、兄の親権を巡って裁判沙汰にもなり、1歳で離婚成立という過激な生い立ちなのですが、じぶん自身はあまりに小さかったので、両親の喧嘩を記憶していなく、幼い頃のわたしは祖父の膝の上で、祖父の絶対の後ろ盾を疑うこともなく、この家(母の実家)の中心は自分であると言う幻想の元に育ちました。
長じてから友人のようになった異母妹が言うには、「あーちゃんは大人の配慮がある育ち方をしている」とのことで、それは確かにそうだっただろうと思います。
わたしの中には、結婚離婚に関する偏見が皆無なのです。

つい先日、学童のバイトをしたのですが、某小1が、「結婚してないの?」「子どもも生んでないの?」と聞くのです。
「そうだよ」と答えましたが、6歳のオリジナルな発想による問いかけとも思えず、誰かに植え付けられた考えがあるのだと感じました。

わたしの生い立ちは、そのような価値から完全に保護されていたように思います。
つまり、いじけた子どもになってもらったら困るという配慮が、結婚の大いなる価値を幼子に吹き込むということをしなかったのです。
その代わりに、明治生まれの祖父母は恋愛結婚だったそうで、祖母は幼児だったわたしに、「おじいちゃんとおばあちゃんは恋愛結婚だったのよ」と言い続け、少し大人になった孫に祖母が言うには、じぶんのお姉さんが重い病気になったことがあって、そのとき、見合いの結婚相手が決まっていて、もしお姉さんに何かあったら、代わりにその家に嫁に行けと言われたどうしようかと思っていたと言ったりしました。

というわけで、わたしは結婚の価値ではなく、なんだかよくわからない「恋愛」というものが重要らしいと言う価値観を持つことになりました。
それが理由で結婚しなかったわけでもないのですが、恋愛を犠牲にして結婚しようという発想はじぶんの中には皆無だったのは確かです。

さて、NHKの特集にあるような離婚後の父との面会ですが、父に遊んで貰った記憶もなく、父に会いたいという発想はわたしの中にはなく、また、父がいないということについては、わたしには、世間一般の父よりも一段格上の祖父がおり、その存在の大きさによって、わたしは何ら不足を感じることもなかったのです。

住まいが近かったわけでもなかったので、幼児の頃に父に会った記憶があり、その後、小学生の頃にも会った記憶があり、それは決して頻繁ではなく、ぽろっと会う機会があって、父という生き物がいることを認識はしていたのですが、父に対する感情というのが、じぶんにはよくわからず、大学入学の際にスポンサーにはなってくれて、そのときはとくに有難いとも思っていなかったのですが、ロースクールに行きたくなってしまったときに、とりあえず自分が大卒であったので、行こうと思えばすぐにローに入ることができることについて、感謝する気持ちになり、父にお礼をいったところ、お礼を言われた父は、驚いた顔をしていました。

わたしには、兄弟姉妹がすべているのですが、その誰とも一緒に育っていなくて、繁殖力の強い個体であった父に、他の兄弟と一緒に会うのは落ち着かず、会うのであれば、一人で会わないと、なんだかしっくりこない印象もありました。

その父もこの春、亡くなったのですが、思いの外ショックを感じていて、ネット上に何も書かずにいました。
葬儀のときに、異母姉とも会ったのですが、みんなで話していて、この姉のお母さんが父のことを一番好きだったのではないかと思いました。
姉は、その母親から聞いた父の学生時代の青春の思い出を語ったのですが、美しい思い出のようで、不思議な印象を持ちました。
姉の母親は、父の悪口を言ったことがないそうで、わたしの母は父の悪口も言っていましたが、批判と称賛をバランスよく語るようにしていたそうで、なぜかというと、子どもがじぶんの父親を劣った人間だと思って育つのはいかがなものかと思っていたからのようで、憎しみを植え付けるというようなこともしなかったのです。

加えて、異母妹が言うには、一度食べたことのあるわたしの母の料理が、父の好きな味付けで驚いたそうで、「パパは女遊びはしたかったけれど、あーちゃんのお母さんと離婚したくなかったんじゃないの?」と言われて、こんな会話ができる異母姉妹も珍しいだろうなと思いました。

兄は両親が同じ兄ですが、父が溺愛していて手放さず、父方で育ちました。
この兄が、「葬儀に来てくれて、あずさは偉いね」というので、「別に恨んでないし」と言いました。

奇妙な崩壊家庭です。
もちろん父母の離婚の際にはかなりの修羅場だったはずですが。