百田尚樹に関心があり(批判的な意味で)、映画にも関心を持っていました。
西東京市にある「こもれびホール」で上映してくれるとのことで、招待券をいただいたので、一昨日、観てきました。
最初、映画を見る動機がそもそも不純だったせいなのか、物語世界に入りきれずに外側から眺めているような感覚にとらわれていて、役者の巧拙を考えていたのですが、途中、主人公の美しい岡田准一が殴られるシーンでやっと物語世界にそれなりに入り込んで、岡田准一と田中泯がどちらが好みかという哲学的な難問を感じつつ、鑑賞してきました。
一か所、気になったシーンについて。。。。
「特攻隊が自爆テロとは違う!」という三浦春馬 vs. 「特攻隊と自爆テロは洗脳の結果であり同じ」というその友人のシーン。
パラダイムという言葉の概念をしっかり認識していれば、このシーンは成立しないと思われました。
パラダイムの内側と外側という単純な話なので、解説してしまうと、恐ろしく陳腐なシーン。
マララ・ユスフザイのノーベル賞受賞について、わたしは反対するものではないですが、パレスチナにもっと悲惨な目にあった少女がいても、誰も脚光を当てようとしないという批判は、わたしたちの世界の限界を端的に表しているように思います。。。ということにもつながるのでしょうが、もし、だれか、勇気ある西側の作家が、自爆テロ礼賛物語をパラダイムンの内側に潜り込んで描いたら、どうなるのでしょうね?
わたしはときどき、「葉隠」をアラブ語に訳して売れば、絶対に儲かるのじゃないかという妄想にとらわれます。
それにしても、「パラダイム」。
この有名になった難解なキーワードの概念を、理解していない人のなんと多いことか。
パラダイムの内側にしたいたことのない人に、パラダイムが何かを知るのは困難です。
困難だということすら、知らない。
そして、わたし自身、パラダイムの内側にしか存在のしようがないのです。
外に出たいと、常にもがいてはいるのですが。。。
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