大人すぎる女子

せっせとアイロンをかけながら、あさイチをみていて、「大人女子」という言葉を知った。
なんたらいう大人女子向けのぬり絵が流行っているそうだ。
ぬり絵に興味を抱いている暇はまったくない大人すぎる女子としては、将来的に精神を病んだときの治療としてならともかく、新しい趣味を持ちたいとはぜんぜん思わない。
それどころじゃないのだ。ったく。

引き続き、せっせとアイロンをかけながら、番組の気配を感じていたら、高校生とスマホの話。
ほのぼのデートの動画(キスシーンあり)を公開し云々。
自らの性行為を公開しないと興奮しないという変態を思い出し、なだらかにつながっているのではないかという感想を抱いた(いじわるで申し訳ない)。
変態にも人権はあると思うので、どうでもいい。

子どもに携帯を持たせるか否か。
もう高校生になったが、姪が小学校高学年のときに、携帯が欲しいと言い出して、親が根負けして買い与えた。。。。ところ、小学校高学年であるという大いなる余暇のお蔭で、姪は携帯のあらゆる機能を熟知し、機能について質問するとすらすらと答えてくれるので、とても便利であり、かつ、まんべんなく暇なので、常に携帯に気を留めているということもあって、兄の家族に用事があるときには、姪に連絡するのが一番効率が良いという効果をもたらした。
大人は携帯のありとあらゆる機能を熟知する暇がないし、メールとか電話も、気づかずに半日が経過するのは悪気があってのことではない。忙しいのだ。気の毒なくらいに。(個人差はあるだろうが。)

卑近な例では、子どもの携帯は、回りの大人を便利にしてくれたのである。これもひとつのケース。

高校生の頃、わたしは夢想家であった。
ある夢想を抱いたことがある。
地球が一つの巨大な脳みそで、地球が考え出すという夢想。。。。。。
ひとりひとりの人間がいわば考えるかけらとして存在し、その人間の小さな頭がネットワークでつながる。
わたしの高校時代の妄想は、ネットワークによって、実現するかもしれない。
世界中の人間が一人一人ネットワークにつながって、地球が思考を始める。

集団的自衛権がクソであることはあきらかだ。

あ、上品なブログを書こうと思ったのだけれども、、、おしまい。

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