日本人移民はこうして「カナダ人」になった

大学時代の恩師、田村紀雄先生からご著作を送っていただきました。
わたしが大学を卒業したのは1984年ですので、(今、気が付きましたが、卒業から30年!)、先生はすでに退官されていますが、まだまだお元気で執筆活動を続けられています。
わたしはロースクールではさすがに勉強したのですが、学部(東京経済大学経営学部)時代は自由時間を謳歌するばかりで勉強らしい勉強をしませんでした。
2年生のときに、ゼミをとることになり、「オルタナティブメディア論」というかっこいいタイトルのついたゼミをとりました。かなり人気があって、男子学生は落とされたようなのですが、女子学生は人数がそもそも少なかったので、仲間入りができたようです。
英語の文献を渡されてどのくらい熱心に読んでいたかは??なのですが、最新のメディアの話がいつの間にか田中正造の話になり、公害運動の原点なのだと教わりました。なぜ、オルタナティブメディアというかっこいい話から、足尾銅山なのかという素朴な疑問を感じつつ、ゼミの合宿も足尾になりました。
何年もたって、究極の公害とも言える原発事故を目の当たりにして、田中正造の偉大さを再認識することになりました。昨年は、没後100年ということもあり、三国連太郎が田中正造を演じた「襤褸の旗」(1974)も観ました。
先生は、楽しいことばかり優先しがちなできの悪い学生に、根気強く、伝えるべきことを伝えようとしてくださったいたのだと、今更ながらに気づきました。
わたしは田村紀雄先生をはじめ、恩師に恵まれた一生だと思います。
ありがとうございます。

tamura

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