今よみがえる丸山眞男

1月に行った石川健治東京大学法学部教授の講演会(安保法制違憲訴訟全国原告連絡会主催)の講演タイトルが「複初の説」で、このタイトルは丸山眞男先生の有名な論説から、とのことでした。
丸山眞男という名前は存じ上げていたものの、「複初の説」は勉強不足で存じ上げず、読んでみたくなって、「複初の説」が収録されている丸山眞男全集の第8巻だけを買ってみたりもしたのですが、部分的に確認しただけであとは積読になっていました。

〇(参考)1.27憲法を変えるな! ~安保法制違憲訴訟の勝利を目指して

絵本「どうぶつ村のせんきょ」のご縁で、あけび書房とのお付き合いができて、あけび書房から「今よみがえる丸山眞男」というタイトルの本がでていることを知り、読んでみました。

平易な語り口で、丸山眞男先生の考えておられたことに触れることができ、かつ、現代社会の抱えている問題についても、この切り口が役立つことが伝わってくると同時に、2022年2月に始まったロシアとウクライナの戦争で、時間の流れが断絶したような印象を持っていたことが、間違いだったことにも気づかされました。
この本の後付けにある発行日は、2021年12月8日で、戦争より前なのですが、この書物が、今起きている戦争、そしてこの戦争に対するさまざまな言説にも通用することに、この戦争が突然起きたわけではなく、伏線は幾重にも張り巡らされいたということに改めて気づかされました。

また、この書物をきっかけに、この本もあの本も読んでみたいという気持ちにさせられました。日本書紀、古事記、マックスウェーバーなどなど、丸山眞男先生の著作もきちんと読んでみたいです。

そして、この書物で気づかされたことのもう一つは、ニヒリズムに関する自分の考えが、いつの間にか、180度変わったということです。若いころは少しカッコイイような気がしていたニヒリズムですが、市民活動家を自任せざるを得なくなってからは、ニヒリズムを素敵とも知的とも思わなくなってしまいました。

わたしは本を読むときは、線を引きながら読むのが常で、その箇所を一部、ご紹介します。

「悪法が通った、盛んに反対したけれども結局通っちゃった、通っちゃったら終わりであるという考えか。これは終わりじゃないんです」=略=「反対する力が強ければ強いほど、その方が成立する過程において抵抗が強ければ強いほど、できた法の運用をする当局者は慎重にならざるをえない」=略=とんでもないことが起きないのは、その法律がいいからではないのです。最後まで抵抗する力が一定の力を持ち、そのことが運用の段階でストッパーになっているからなのです。p.170-171

そして、この書物の末尾には、無視することができない警告がかかれていました。

デモクラシーを大衆の勃興とうまく馴染ませることができる材料は出てきていません。p.209

わたし自身、大衆の一人にすぎませんが、パラダイムを内側から食い破るというのは、わたし自身の永遠のテーマです。

 

日本人移民はこうして「カナダ人」になった

大学時代の恩師、田村紀雄先生からご著作を送っていただきました。
わたしが大学を卒業したのは1984年ですので、(今、気が付きましたが、卒業から30年!)、先生はすでに退官されていますが、まだまだお元気で執筆活動を続けられています。
わたしはロースクールではさすがに勉強したのですが、学部(東京経済大学経営学部)時代は自由時間を謳歌するばかりで勉強らしい勉強をしませんでした。
2年生のときに、ゼミをとることになり、「オルタナティブメディア論」というかっこいいタイトルのついたゼミをとりました。かなり人気があって、男子学生は落とされたようなのですが、女子学生は人数がそもそも少なかったので、仲間入りができたようです。
英語の文献を渡されてどのくらい熱心に読んでいたかは??なのですが、最新のメディアの話がいつの間にか田中正造の話になり、公害運動の原点なのだと教わりました。なぜ、オルタナティブメディアというかっこいい話から、足尾銅山なのかという素朴な疑問を感じつつ、ゼミの合宿も足尾になりました。
何年もたって、究極の公害とも言える原発事故を目の当たりにして、田中正造の偉大さを再認識することになりました。昨年は、没後100年ということもあり、三国連太郎が田中正造を演じた「襤褸の旗」(1974)も観ました。
先生は、楽しいことばかり優先しがちなできの悪い学生に、根気強く、伝えるべきことを伝えようとしてくださったいたのだと、今更ながらに気づきました。
わたしは田村紀雄先生をはじめ、恩師に恵まれた一生だと思います。
ありがとうございます。

tamura