9.11 産省前テントひろば

とつきとおかのテントひろば(第二テント)が十月十日目を迎え、同時に、テントひろばとしても、この日が一周年記念日だった。(正確には2年目に突入した日とのこと)
昨年の11月23日、高円寺の座で開催された「脱原発をめざす女たちの会」で、12月1日から女性たちが経産省前テントで座り込みをするというチラシが目に飛び込んできた。
男性なら楽にできるというものでもないだろうが、お母さんたちが座り込み、しかもこれから冬に向かうと言うときに!最大の理由は、男性だけのテントだと、力と力で潰されてしまうと 考えたからだったようだ。

12月1日、わたしは昼休みにホカロンを届けに経産省前テントに行った。ホカロンは北海道の友人が東京の計画停電を心配して送ってくれたものだった。計画停電にはなったが、春先だったこともあり、ホカロンは手つかずのまま手元にあった。せっかくの友人の好意を無駄にしたくなくて、テントに届けたのだ。

そのとき、椎名千恵子さんだったと思うのだが、「一緒に座り込みをしていきますか?」と聞かれた。ホカロンを届けに来たわたしは、ホカロンを届けるという行為以上のことを考えていなかった。
「今日は昼休みに来たので、また来ます。」
嘘を言ったわけではなかったが、後ろめたい気持ちになった。

もう一度行かなければと思いつつ、雑事に追われ、年末になった。
そしてテントとのかかわりが始まった。テント番こそしなかったが、テントのいろんな活動にかかわらさせていただいた。

写真は撮影係をすることの方が多いので、自分が写っている写真はほとんどない。
9月11日、ゴールデンウィークにも何度かお目にかかった澤地久枝さんがいらっしゃったので、一緒に写真を撮っていただいた。

テントひろば、できれば国民と国会議員が対話をするモニュメント的な建造物にして、未来永劫残したい。ここが脱原発のメッカ。周りの人と、脱原発を語ることのできない仲間のよりどころ。ねずみの出没に日々悩まされながら、ちょいと左のみなさんと、普通の女性たちが日々戦っている場所。脱原発、即廃炉は、理想の実現なんかじゃない。これこそ、喉元につきつけられた現実。事故が再び起こったら、もう、立ち直れない。

アメリカとは太平洋を隔て、ヨーロッパとはユーラシア大陸を隔てて、世界地図の片隅で起こった原発事故。じぶんの国にとって、致命的、と思わずにいられることが、わたしには不思議なのです。停電で誰か死ぬかもしれませんが、それとこれとを比較して、停電になったら大変なことが起こるというのは、おかしくないですか?日本以外の国では停電はしょちゅう起こっているようですが、原発事故よりたいへんだなんて、誰も思ってませんよね?安全は永遠に神話のままなんじゃないですか?

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