山口小夜子考~ユネスコ憲章

東京都現代美術館で開催されている「山口小夜子 未来を着る人」を観てきました。

http://www.mot-art-museum.jp/

美術館のロビーを使って、山本寛斎さんがファッションショーを開催され、内田裕也さんが出演したので、わたしは写真を撮りに行ってきたのです。
ショーのチケットで、展覧会の方も入場することができたので、観てきました。
学生の頃から、内田裕也氏はわたしにとって、文化芸術の窓口の役割を果たしてくれるのですが、今回も、山口小夜子さんを知るきっかけを作ってくださいました。

1970年代に脚光を浴びたトップモデル、山口小夜子。
西洋の美がもてはやされる中で、日本の美を世界に認めさせたかった敗戦国ニッポンのミューズとして嘱望され、世界に引けを取らない日本の現代の美を体現したのが、ほかならぬ山口小夜子さんでした。彼女には日本のプライドがかかっていたのだと改めて気づきました。
今、もし、ご存命だったら、今の政治状況をどんな風に感じ取られたのでしょう。

わたしはどちらかに分類するのであれば、「左翼」なのでしょうけれども、また、愛国心という言葉には、どうにも胡散臭い感じを嗅ぎ取ってしまって、苦手なのですけれども、日本のプライドはわかります。
本当の意味でのプライドは持ちたいと思います。

なぜ、本当の意味のとわざわざ言いたくなるかというと、原発によって被害がなかったように取り繕うことが真のプライドとは思えないからです。
加えて、アメリカに振り切れんばかりに尻尾をふりながら、憲法に八つ当たりして、押しつけだと言うプライドのあり方には、ぜんぜん賛成できないのです。
日本の憲法を先駆的で、優れていて、憲法九条はかくあるべきという世界のお手本のような条文です。わたしは愛国心ゆえに、憲法9条を手放したくありません。
世界で最も優れた条文は、わたしの誇りです。

ところで、ぐるっと眺めまわしてみると、右翼的な方たちの方が、愛国の表現が得意なような気がしてなりません。
原発事故の後は、わたしは、自分自身、日本的なものへの愛着が深まっているように感じます。端的に言って失いたくないからです。これ以上失いたくない。
これも、ぜひ、間違えないでほしいのですが、失わなかったことにして取り繕うのとは異なります。失ったものを失ったと認めないことには、未来は築けない。
バタ臭い表現ではなく、平和を語れないかと、ずっと考えています。
どっぷり愛国的平和。
集団的自衛権などいらないという愛国の表現はないのか。
愛すべきニッポンの愛すべき憲法9条。
ちなみに、わが西東京市の「非核・平和をすすめる西東京市民の会」の代表の鈴木治夫さんは、笙の職人であって、演奏者という方なのです。
昨日は、午前中、市の職員との会議があって、そこにわたしも参加したのですが、喧々諤々の会議でした。

「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」(ユネスコ憲章)

人の心の中に平和のとりでを築くために、わたしたちは何をすればいいのだろうと、改めて思いました。

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