フライドチキンの折り紙

フライドチキンの折り紙を折ってくれと、小1からオーダーを受けました。
テキストを見ながらなのですが、難易度3だそうで、それなりに??なのです。
なかなかうまくいかず、いったんは放り出したものの、悔しいので再度チャレンジしたらできました。

「さすがあーちゃん!」と褒められました。

しかし、折り紙も茶色を使ったし、できあがりの感動が少ない折り紙です。
鶴のような造形の美しさに欠けているのです。
折り紙業界もネタ切れで、苦肉の策で考えたのかもしれません。。。。

「感動ってなあに?」は、可愛い小1の問いかけ。
フライドチキンの折り紙が欲しいという小1の願いを叶えてあげられてよかったです。

学童クラブの夏季バイトも、もうあと一週間ほど。
一度やってみたかったので、いい経験です。
ものすごく疲れると脅かされていましたが、子どもの発想の突飛さは、わたしには免疫があるというか、ある種じぶんと同じなので、特に疲れることもなく、楽しんでおります。

今こそ平和を戦争はいやだ ー戦争裁判担当弁護士からー

安保法制違憲訴訟でお世話になった児玉勇二弁護士から本を送っていただきました。安保法制違憲訴訟の原告でもあった猪熊得郎さん(シベリア捕虜体験者)や、渡辺紘子さん(東京大空襲でお父さん、千葉の大空襲で幼い弟妹を失った)の陳述書の引用から始まる衝撃的な書物を読み進めると、劉連仁という名前がありました。

「強制連行された劉連仁という中国人の方が、戦争が終わった後も北海道の山奥で逃げ回り発見されてから、強制連行した企業とこれを推進した国を訴えた、戦後補償裁判に私も参加しました」(『今こそ平和を 戦争はいやだ』児玉勇二著より)と。

劉連仁、茨木のり子の詩集にある「りゅうりぇんれんの物語」で語られるその人ではないですか!
ついこの間、読み終えたばかりの詩の一篇を思い出し、間接的にでもつながっていたことに、驚きました。

下記、お勧めです!

『茨木のり子詩集』谷川俊太郎選 岩波文庫

『今こそ平和を 戦争はいやだ 戦争裁判担当弁護士から』児玉勇二著 あけび書房
 https://akebishobo.com/products/peace1

アイロンビーズ

アイロンビーズなるものはわれわれの子ども時代には存在しなかったので、やってみたことはなかったのですが、体験させていただきました。

子どものおもちゃですので、小さな手でないとビーズをうまく入れられないのですが、小2女子が気を利かせてピンセットを貸してくれました。

  • オリジナル作品です!

教養と教育

めでたく(?)還暦となり、シルバー人材センターの登録の対象にもなったので、登録してみました。
説明会があって、参加したところ、

教養「きょう用事がある」

教育「きょう行くところがある」

と言って、老化防止のためのお話がありました。
お年寄り初心者なので、そのキーワードを我がことと捉えるにはまだ間があるというか、このままいくと、一生暇になどなりそうにないのですが、暇というか、退屈が敵という気分は、学童のバイトでも感じました。
子どもたちは、何か楽しいことを見つけないと、退屈という人生最大の敵に直面することになるのです。

この手持ち無沙汰をどうすればいいのか!

子どもの頃、うまい表現は知りませんでしたが、退屈は明らかに敵でした。
大人たちが楽しそうに談笑しているのに、早く寝ろと言われることに、恨みがましい気持ちを抱き、楽しいことを貪欲に求めていました。

三つ子の魂百まで、なのか。

そういえば、別の集まりで、朝薬を飲むと他に用事がないお年寄りの話を聞きました。子どもはともかく、年寄りの無趣味はさすがに「自己責任」のような気がしないでもないですが。。。

だましぶね

折り紙のだましぶねを久しぶりに作りました。
一度知ってしまえばなんということはない子どもだましなのですが、このふねの単純なトリックにだまされて、目を丸くするこどもをみるのは本当に楽しくて、一粒で二度おいしいを超えて、三度おいしいのです。

1 子どもがだまされる → びっくりしている子ども

2 なぜなのかを知る → 安心している子ども

3 他のひとをだます(大人はだまされたふり) → 喜んでいるこども

この一連の流れは、その子の一生に一度しか起こらないはずで、この一瞬はそれを演出する大人にとっても快感なのです。

自己責任という言葉の有害性について

部屋の片付けが最大の課題です。膨大な紙の山を目を通してからと思っていて、堆積し続けているのですが、涼しいいので片付けのためにちょっと目を通すというのをしていたところ、2月の地元の「公民館だより」に、要保存の一文を見つけました。

「自己責任」には、自己評価を下がりやすくし、自分が悪いから仕方がないと考えやすくなるという側面がある

自己責任という言葉は、この世界を生きづらいものにしますね。上記の言葉は、金言と思いました。

フゴッペ洞窟の翼をもつ人

友人に誘われて下北沢「小劇場楽園」で演劇を見てきました。

Stokes/Park ストークスパーク
https://infostokespark.wixsite.com/stsphp?fbclid=IwAR0MLXZj8zkENoMGwwGgIkNQygGTlafTPLMgqStsGxpcLIC_Gyzjwm0plEs

予備知識は全くなかったのですが、今まさに問題になっているヤングケアラーの話で、考えさせられました。
役者の演技も良かったです。
縄文太鼓が時の流れを表現し、母親の介護を続けて、学校に行くことも就職することも、未来を築くことを断念させられながらも、母への愛に自ら縛られていく主人公。
若年性痴ほう症ということなのか、介護を断る罪深い母親。
東京公演はまだつづきますが、完売だそうです。
友人と久しぶりに会えることがメインで、観劇はオマケのようなつもりで出かけたのですが、面白かったです。

テロルの決算

たった今、安倍晋三氏の訃報が流れました。
ご冥福をお祈りします。
わたしにとって、あなたがこの国のリーダーだったことは、不快の一言でしたが、それ以外の点において、特に恨みはありません。安らかに眠ってください。

今日は、TVニュースをずっと流したままにしていたのですが、目撃証言が気になりました。

———-NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html
男は上がねずみ色のTシャツで、下は黄土色のズボンという服装に見えた。男は逃げる様子もなく、その場にとどまっていて銃はその場においていた。そのあと周りを取り囲んだSPとみられる人たちに取り押さえられた———-

そして、だいぶ昔に読んだ、下記の一節を思い出しkindleからコピペしました。

——-沢木耕太郎『テロルの決算』より
山口二矢は浅沼稲次郎を一度、二度と刺し、もう一突きしようと身構えた時、何人もの刑事や係員に飛びかかられ、後から羽交い締めにされた。その瞬間、ひとりの刑事が二矢の構えた短刀を、刃の上から素手で把んだ。二矢は、浅沼を刺したあと、返す刃で自らを刺し、その場で自決する覚悟を持っていた。しかし、その刃を握られてしまった。自決するためには刀を抜き取らなくてはならない。思いきり引けばその手から抜けないこともない。しかし、そうすれば、その男の手はバラバラになってしまうだろう。二矢は、一瞬、正対した刑事の顔を見つめた。そして、ついに、自決することを断念し、刀の柄からから静かに手を離した……。(=略=)一瞬の迷いの中に、テロリストの心情が透けてくる。それは帝政ロシア末期のテロリストたち、たとえばサヴィンコフの伝えるカリャーエフなどに共通の心情である。セルゲイ大公の馬車に幼児が乗っていたため手榴弾を投擲できなかったカリャーエフの心情と、それは少しも変わらない。———-

41歳だという山上徹也容疑者は政治信条に対する恨みはなかったとのことで、それならどういう理由だったのでしょうか。
わたしは、「アベ政治を許さない」というメッセージをずっと流し続けた一人として、歯の浮くようなことは言いたくないのです。
じぶん自身が暴力をふるうということはあり得ないのですが、健康不安がうわさされるアベ氏が、白湯を飲んでいるという噂に、一抹の「期待」をいだいたり、飲み会の席で、「アベと刺し違えてもいいと思っている」という某氏の発言に、「刺し違えるのはもったいないですよ」と軽口をたたいていた自分がいます。

「アベ政治を許さない」というメッセージを掲げ続けるという非暴力不服従の闘いが、なかなか成果をあげなかったことにイライラしつづけていた長い長い時間を経て、ウクライナとロシアの戦争があるこの時に、われわれの言わば政敵であったアベ元首相が凶弾に倒れることになりました。人の命のなんとあっけないことか。暴力の即効性に、その凶暴性に、恐れおののいています。そして、山上徹也容疑者だけの犯罪なのかと思わずにいられないのです。なぜなら、この世界はウクライナに武器を送り続け、暴力不服従を奨励しているから。

下記は自分が賛同しているというわけではないのですが、丸山眞男先生の「拳銃を……」とうい短い文章からの抜き書きです。

———-豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されて来た国民も珍らしい。私達は権力にたいしても、また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである。どうだろう、ここで一つ思いきって、全国の各世帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して、世帯主の責任において管理することにしたら……。(=略=)なにより大事なことは、これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが、社会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし、外国軍隊が入って来て乱暴狼藉しても、自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるにちがいない。「丸山眞男集 第八巻」より———-

ご参考までに。

『堕落論』坂口安吾

坂口安吾「堕落論」が青空文庫にあります。
戦後、人気があったそうです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html

諸先輩方に話をふっても、ご存じない方も多いので、備忘も兼ねて、リンクを残しておきます。
このタイトルで文庫も出ていますが、他のエッセーも収録しているもので、堕落論自体はごく短いものです。
ご一読を。

祖母の思い出

このところ、ご近所に憲法改悪反対の署名をお願いしに歩いています。
友人に付き合ってもらって、家から離れたところにも行ってみましたが、自宅周辺の面白みは、やはり祖父母のことを知っている方との井戸端会議です。
家の角をまがって少し行ったところのお家の前で、ご夫婦で帰宅したばかりのところに行き合わせて、実は、署名を集めているのですがと声を掛けてみました。
ご近所と言っても、ごくたまにしか会わず、お互いにマスクもしているし、他の場所で会ったらわからないけれどもと言いつつ、あなたのことは小さいころから知っていると、祖父母との思い出を語ってくださいました。
祖父からは、某役所に勤めていたことから、国勢調査の手伝いをするように言われたのだそうで、これは特に不思議なところはないのですが、祖母からは、その某役所の交通局にいたことから、叔父(祖母の息子)の自動車が壊れたときに直してくれと言われたそうで、仕方がないので行ってみたところ、偶然、じぶんでも分かることだったので直せたのだそうです。祖母はかなり天然なところのある人物だったのですが、交通局=自動車整備工とつながってしまうあたりは、まさに祖母のキャラクターで、祖母のネタを一つ仕入れることができました。