帯状疱疹

ためしてガッテン!が帯状疱疹特集らしい。
わたしは、ローの3年生の春に後頭部の帯状疱疹になった。早期発見で大事には至らなかったが、水疱瘡をした覚えがなかったので、医者にその旨告げると、検査をしてくれた。
「確かに、水疱瘡してませんね。」
と、言われた、、、、なぜ、帯状疱疹??
何れにせよ、明らかに免疫力の低下だった。要するに過労。
これをきっかけに、半年後に、好条件の派遣を辞めることにしたのだ。
身体を壊したら元も子もないと思ったから。
この派遣、時給2700円で、「今日は学校なので」というと、どうぞおかえりくださいと言ってくれる寛大な職場だった。
通勤時間は自転車で20分。
15年勤めた短期雇用契約だった。
ローに行く前は、夕方5:30には家にいて、あとは自由だった。
母が存命の頃は、食事は自動的に出てきたから、家で一仕事できた。
この環境がなければ、内田裕也.comやnywrf.netはなかった。

いま、我が家にロックンローラーの洋服が1トン分ある。
起業家セミナーの第一回目に参加してきたが、条件が揃い過ぎている。
資本論も必死で読んでいるがここに出てくるWーG、すなわち、商品を現金化すればいいだけ。著名人の古着のオークション。じぶんに商売のセンスがあるかどうかは疑問なのだが、服の写真を撮って、ネットに上げてという作業はじぶんでできる。1トンの在庫を保管するスペースもある。(家で飲み会ができなくなっているが。。。)
ロックスターの趣味の良さは、さすがの審美眼だ。
学生時代も売り子や接客のバイトをしたことがなく、物を売るということがよくわかっていないのだが、御大に限らず、芸能人は服を着古さない。
どんどん増えていく洋服は悩みの種だ。
いっぽう、憧れのロックンスターの持ち物は、欲しい人にとっては宝物だ。
これをかたちにしなきゃじぶんはアホだと思う。

アーティストの服の販売をして、事務処理手数料を除き、アーティストの被災地支援の補助をする。
この仕組みが作りたい。

冷蔵庫のドア

Facebookには毎日何かしら書くが、ブログは更新しないままになってしまうので、これを改め、ブログに何かしら書くようにしようと思う。

わが家の冷蔵庫、ドアが右からも左からも開く。母が亡くなった後に冷蔵庫が壊れ、買い換えたものだが、両方からドアが開く冷蔵庫が欲しかったわけではなく、たまたま必要としているサイズの冷蔵庫のうちで一番安価だったので買ったのだ。

母が亡くなって、今年は13回忌だったので、そろそろこの冷蔵庫もやばいかもしれないと思っていたら、いつも開けている方のドアが開かなくなり、反対側からしか開かなくなった。身についた癖はそう簡単に治るわけでもなく、右利きでもあり、つい右側から開けようとして、開かず、左からというのを繰り返していた。不思議なことに、自然治癒して右からでも開くことがあったが、右からは、どうやら稀にしか開かないらしいと諦めかけて、ネット検索してみた。

ドアが開かない場合は何かしらものが挟まっているという記述があったが、ものなど挟まっていなかった。さらに検索するち、冷蔵庫を買ったときにわたしも同じ心配をしたのだが、ドアが落ちるのではと質問している人がいて、どちらかのドアが開いているときは、もう一方のドアは開かない構造なのだと回答されていた。

もしやと思い 、左側を押さえながら右側を開けると、いとも簡単にドアは開くのだった。もうしばらく、だましだまし使えそうだ。

アーティスト

きのうは一日千葉にいた。
わたしはそもそもは自然音痴なので、自然に親しんでいたわけではなく、千葉市美術館に行きたかったのと、以前から行ってみたかった本八幡にあるサードステージというライブハウスで、三原康可さんのライブがあったので、その3つを一日で実現させたのだ。

注:このブログはそのときどきの気分で文体が変わってしまいます。きょうはこういう気分。

千葉市美術館では、「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」を観た。この展覧会、副題に「マネジメントの父」が愛した日本の美、とある。あの「もしドラ」のドラッカーの美術コレクションなのだ。もっともわたしが興味を持ったのは、日曜美術館での田中泯さんの朗読だった。
ピカソが嫉妬した日本の美術。日本の美は外国をぐるっとまわって帰ってきて、やっと本国で気づかされる(ことが多い)。
3.11以降、わたしは日本を再発見したくなっている。
一番気に入ったのは、谷文晁の「月夜白梅図」、日本のドラクロアかと思った。そう、なぜだか西洋美術で日本の美術を解釈してなるほどと思ってしまう。ある種の病なのだけれども、水墨画でこんな風に光を感じるとは!

西東京から千葉市美術館まで2時間ほどかかって、美術館から本八幡までも約1時間ほどかかった。もっとも東京へ戻る方向なので、ライブを観てからでもじゅうぶん終電には間がある。
駅前にサードステージというライブハウスがあって、ここのオーナーが石橋勲さん。彼は年末のニューイヤーワールドロックフェスティバルでいつも最初に演奏する。石橋さんにとっては先輩にあたるジョー山中さんや力也さんや桑名さんが亡くなられてから、ステージが一段とよくなって、ミュージシャンも世代から世代へ受け継がれるのだなと思わされた。

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石橋勲さん、わたし、三原康可さん

三原康可さんは、内田裕也&トルーマンカポーティロックンロールバンドのギタリスト。Facebook上の友人でもあり、脱原発や九条に対するスタンスは同じ。
この日のステージでも、「憲法九条を動かそうという動きがあって、それに反対しています!」と言ってくれた。

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やっぱり、ちゃんと言うべきことを言ってくれないと、わたしのようなオーディエンスは物足りなく感じる。
「2音」と名付けられたステージは、三原さんがギターとボーカル。それから、チャッピー武田さんがドラム。この二人による2つの音。完成された音の世界にひきこまれた。いいステージだった。
途中、ユーヤトークもあって、ユーヤさんがチューニングなんかどうでもいいんだ!と言ったそうで、そういわれてもねと。。。
光景が目に浮かぶ。これを聞いて内田裕也がいい加減だと思うとすれば、観客としては、まぁ素人。
内田裕也のバンドがいいかげんなチューニングで済ますミュージシャンで構成されているはずがないのだ。そんなことはわかったうえでの御大のわがまま。
いい加減にやっているようでいて、完成されているという美学。
こちらもフォーマルの着くずしと同じで、凡夫がやれば目も当てられない。
そこらへんの評論家気取りは、表面しか見抜けない。
生真面目な音楽家はそもそも当たり前のことを当たり前に語る。

エーゴと日本語論争も、誰も指摘しないけれども、英語はロックにおいて、キリスト教におけるラテン語とかヘブライ語と同じなのだ。日本語をエーゴみたいに発音するのはある種の発明だけれども、ガイジンと一緒にステージを観ていて英語の歌詞と日本語の歌詞が混在する曲でノリが狂うという体験をした身としては、あれは議論ではなく、体感の話だったのだと思う。商業的な成功は後付けの論証のように言われるが、どうでもいいことだ。日本が世界の辺境でなくなったとでもいうのなら別だけれども。

山口あずさと原発ゼロにする会、Rock’n Rollienneの巻でした。

山口小夜子考~ユネスコ憲章

東京都現代美術館で開催されている「山口小夜子 未来を着る人」を観てきました。

http://www.mot-art-museum.jp/

美術館のロビーを使って、山本寛斎さんがファッションショーを開催され、内田裕也さんが出演したので、わたしは写真を撮りに行ってきたのです。
ショーのチケットで、展覧会の方も入場することができたので、観てきました。
学生の頃から、内田裕也氏はわたしにとって、文化芸術の窓口の役割を果たしてくれるのですが、今回も、山口小夜子さんを知るきっかけを作ってくださいました。

1970年代に脚光を浴びたトップモデル、山口小夜子。
西洋の美がもてはやされる中で、日本の美を世界に認めさせたかった敗戦国ニッポンのミューズとして嘱望され、世界に引けを取らない日本の現代の美を体現したのが、ほかならぬ山口小夜子さんでした。彼女には日本のプライドがかかっていたのだと改めて気づきました。
今、もし、ご存命だったら、今の政治状況をどんな風に感じ取られたのでしょう。

わたしはどちらかに分類するのであれば、「左翼」なのでしょうけれども、また、愛国心という言葉には、どうにも胡散臭い感じを嗅ぎ取ってしまって、苦手なのですけれども、日本のプライドはわかります。
本当の意味でのプライドは持ちたいと思います。

なぜ、本当の意味のとわざわざ言いたくなるかというと、原発によって被害がなかったように取り繕うことが真のプライドとは思えないからです。
加えて、アメリカに振り切れんばかりに尻尾をふりながら、憲法に八つ当たりして、押しつけだと言うプライドのあり方には、ぜんぜん賛成できないのです。
日本の憲法を先駆的で、優れていて、憲法九条はかくあるべきという世界のお手本のような条文です。わたしは愛国心ゆえに、憲法9条を手放したくありません。
世界で最も優れた条文は、わたしの誇りです。

ところで、ぐるっと眺めまわしてみると、右翼的な方たちの方が、愛国の表現が得意なような気がしてなりません。
原発事故の後は、わたしは、自分自身、日本的なものへの愛着が深まっているように感じます。端的に言って失いたくないからです。これ以上失いたくない。
これも、ぜひ、間違えないでほしいのですが、失わなかったことにして取り繕うのとは異なります。失ったものを失ったと認めないことには、未来は築けない。
バタ臭い表現ではなく、平和を語れないかと、ずっと考えています。
どっぷり愛国的平和。
集団的自衛権などいらないという愛国の表現はないのか。
愛すべきニッポンの愛すべき憲法9条。
ちなみに、わが西東京市の「非核・平和をすすめる西東京市民の会」の代表の鈴木治夫さんは、笙の職人であって、演奏者という方なのです。
昨日は、午前中、市の職員との会議があって、そこにわたしも参加したのですが、喧々諤々の会議でした。

「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」(ユネスコ憲章)

人の心の中に平和のとりでを築くために、わたしたちは何をすればいいのだろうと、改めて思いました。

未来のために近現代史を学ぶ会

動画アップ、お待たせしました。
3つに分かれた動画を合体させたのですが、なぜか途中無音の静止画が入った状態になって、調整にてこずりました。

2015年5月16日に、西東京市芝久保公民館で行われたものです。

今後の予定。。。(すべて14:00~)

6月21日(日) 沖縄の近現代史と課題(自主勉強会)
7月11日(土) 昭和史3 中村孝文先生講義
8月9日(日) 戦後70年の歴史認識(自主勉強会)
9月12日(土) 昭和史4 中村孝文先生講義
10月18日(日) イスラム国・第一次世界大戦(自主勉強会)

中村天風~まどみちお

地元で知り合った方から、とても高価な本をずっと借りたままになっている。
中村天風著「成功の実現」
豪快な本で、難解なわけではないのだけれども、雑事に追われ、自らはじめてしまった「資本論」の読書会優先で、少し読んでは中断しを繰り返している。
その一節。。。

「せっかく俺が買ってきたのにうれしくねえのか」
「うれしいわよ」
「うれしかったら笑ったらどうだい」
「あさって笑うわよ」

こんな会話が実際にあるかどうかは分からないけれども、わたしもものすごくうれしかったのにうれしいというのを表現しそびれた覚えがある。どれほどうれしいかと他の人に自慢話はしたのだが、そのうれしいの原因をつくってくれた人には、喜びが伝わっていたのかどうかおぼつかない。

母を亡くしたときに、香典返しを何にしようかと迷い、母の短歌とわたしの俳句で本をつくった。
その冒頭に、まどみちおの詩を引用した。

母ヤギからきた手紙を 子ヤギはメェメェ食べながら
ごはんじゃなくてお手紙も くれればいいのに母さんは

ピンと来た人もおられるだろう。この詩はあの有名な動揺の原形なのだ。まどみちおさんは当初、母子のコミュニケーションを題材にして書いた詩を、友だち同士に変えて、どうどうめぐりのあの歌ができあがったのだ。

くろやぎさんから おてがみついた
しろやぎさんたら よまずんじたべた
しかたがないから おてがみかいた
さっきのおてがみ ごようじなあに

この歌は終わらない。
この歌は永遠につづくのだ。
しろやぎさんとくろやぎさんは、さっきのおてがみごようじなあにと、お互いにお互いを気に掛けながら、その友情は永遠。
いいのだ。用事などなんでも。じっさい、「ごようじなあに」としか書いていないのだし、最初のようじがなんだったかなど、おぼえちゃいないだろう。

ただ、まぁ、うれしいというのを、他の人にじまんするくらいなら、うれしいとちゃんと表現すべきであったなぁとは思う。いつまでたっても大人げないままで、人は年をとる。

人質事件とプラスチック的感性と熱狂への恐れ

じぶんのブログが後回しになってしまう。
今週は、参議院議員会館に月、水と通い、火曜日は早稲田大学の小野記念講堂に行った。
月曜日が「公職選挙法と選挙制度を考える。」
火曜日が「パク・ウォンス ソウル市長 公開講演会」
水曜日が「私たちは人質事件をどう考えるか」

それぞれちゃんとまとめるべきなのだが、他にやらないとならないことがあるので、関心のある方はわたしのメモ的なツィッターを見て欲しい。
https://twitter.com/Rollienne

ところで、人質事件が起こったときに、クソコラというのが流れてきた。
深刻かつ残酷な画像を、ちゃかして、ナイフをバナナにという例のコラージュ。
大量に送りつけられて、ISISも対応に苦慮しているらしいというコメントもあった。
素直におもしろがっている人もいたのかもしれないが、通常ならパロディ好きのわたしは、どうにも気味の悪さと居心地の悪さを感じていた。

9.11のあと、PEACEDESIGN.JPというサイトを立ち上げて、活動しようとしたことがある。
ネット上で知り合った3人組で立ち上げたのだけれども、まぁ、たいしたことはできないままに、閉じてしまった。
この掲示板に、ネトウヨが大量に書き込みをしたことがあった。
母が亡くなった直後だったので、牧歌的にその話を書いてしまったところ、「山口の母、天国より」というような書き込みが多数なされ、正直、具合が悪くなった。
書き込みをしているのは、若い人というか、わたしから見れば子どもなのではないかと思ったが、どうにも耐え難く、掲示板を見るのを辞めてしまった。
こちらが人間的なことばで、情緒的に訴えようとしても、まったく通じなかった。
プラスチックのつるつるとした感性の前で、すべてが上滑り。
ISISのナイフをバナナに持ち替えてコラージュにすること。
面白いと思おうと思えば、おもしろくないこともないのだが、これが有効に機能するとは考えにくい。ISISがばかばかしいからこんな真似を辞めよう!と、思ってくれるわけがないのだ。
「人を殺してみたかった」という理由で、人を殺してしまうという環境に住んでいるわたしたちにとって、忌まわしい死は日常には存在しない(ように見える)。
一方、ISISのいる世界には死が日常なのだ。
なぜ、こんな残虐なことをとみな不思議がっているが、彼らが発明したわけではない。
昨日の議員会館の集会で、イラクの民兵がやってきたことは、さながらホラー映画のようだったと志葉玲さんが言っていた。となると、ISISの残虐な行為は、じぶんたちがされたことをしているだけなのだ。
国際社会に向かって、実に効果的にプロパガンダしている。
同じ目に遭うことによって、何かに気づいて欲しいと思っているのかもしれない。
想像を絶する残虐さは、少なくともISISの発明ではないようだ。

ところで、安倍政権は、さっそく、憲法9条を変えましょうと言い出した。
人質の命を心配していたのではなく、この事件をどう憲法改正に結びつけるかに腐心していたことが透けて見える。
このプロパガンダに、日本人は踊らされるのだろうか?
後藤健二さんの活動に感動し、後藤さんのついでに哀悼の意を表しつつも、湯川遥菜さんの活動に内心冷ややかな感情を抱いているわたしたち日本人は、人質が湯川さんだけだったなら、あの便利な「自己責任」という言葉で済ませることに、躊躇しなかったかもしれない。
後藤さんの尊い命があって初めて「憲法改正」へのプロパガンダが可能になるのじゃないか?
そして、後藤さんが決して望まないであろう選択を、政府は推し進めようとしている。

プラスチック的感性の持ち主がどのような人間か、一方でプラスチックのように鈍感でありながら、一方で、美しき戦いに熱狂するのだろか。

わたしたち日本人は、いまだに、12月14日には、忠臣蔵の討ち入りに感涙し、切腹を愛している。
「生きて虜囚の辱めを受け」ないように、人質になった時には「自己責任」をまっとうし、強い兵士として死を恐れず、戦地に赴くつもりなのだろうか。

美しく戦うことは、人類を滅亡させる。

原爆を体験したことの意味を感じ取れない人がどうして大勢いるのか。

なぜ、安倍が総理大臣なのか。

わたしには、わからない。

追悼 後藤健二さん

日本人が人質に冷たいのは、未だに「生きて虜囚の恥ずかし目を受けず」と刷り込まれたままの人が多いからだろう。
切腹文化は、未だ健在。
原爆は、ヒロシマ、ナガサキのみでなく、そして、日本のみでなく、この地球に落とされ、原発事故は、チェルノブイリ、ヒロシマのみでなく、そして、ソビエト連邦、日本のみでなく、この地球に取り返しのつかないダメージを与えたのに、わたしたちは、未だに、美しく戦うという幻想に酔うことを辞めないのだ。
パラダイムの外から眺めれば、陳腐極まりないが、パラダイムの内側の酔っぱらいは、勇ましくあることの美に酔って恥じない。
美しく死ぬことに最大の価値をおけば、われわれは滅びるしかない。
その滅びは、国家の滅びではなく、人類の、ホモサピエンスの滅び。
第二次世界大戦を経て、現代美術は美しくないものに美を探ろうとした。
新しい美を見つけないことには死んでしまうからだ。これほど切実なことはない。
安倍晋三は「テロリストを絶対に許さない」と言った。
「特攻隊を絶対に許さない」と言う異国の人がいたとしても、彼にはなんの関心もないだろう。
パラダイムの内側の揺り籠の内で、特権階級の幸福の王子は、空調の効かない世界を知らない。
殺されてしまった後藤さんが、もう一度マイクを手にすることがあれば、「絶対に許さない」が、テロリストへの有効な回答でないことを、切々と訴えるだろう。
後藤さんの優しさをわたしは信じて、無力でちっぽけな祈りを捧げていた。
心より、ご冥福をお祈りします。
わたしたちがあなたの命に、テロリストの心に、無力であったことをお詫びします。
危険な紛争地に、命を賭して赴かれたことに感謝します。

ISISのメンバーだと言う22歳の青年に葉隠について語ってみた

ISISのメンバーで、日本語(機械翻訳)でツィートをしている  くんに対し、つい、できごころで、メッセージを送ってしまいました。こんな時代が早く終わって、今、22歳だという彼が、長く生きて、いつか会えるといいと思います。なお、このアカウント、残虐な画像も掲載されていますので、閲覧注意です。
下記、わたしがツィッターで流したものです。

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美しい青年。
あなたは、「葉隠」を知っていますか?
日本人は、自殺を様式美にしました。
そして、強い兵士をつくりました。

Beautiful young man.
Do you know “Hagakure”?
We Japanese, made suicide style beauty.
And, we have created a strong soldier.

شاب جميل.
هل تعرف “هاغاكوري”؟
اليابانية، وكان انتحاري في الاسلوب الجمال.
و، لقد خلق جندي قوي.

わたしは、日本の美意識と、あなたがたの信仰について、話がしてみたいのです。
「葉隠」という書物があって、これは武士道の聖典ともいうべきものです。その中に書かれているもっとも有名な一節は「武士道といふことは、即ち死ぬ事と、見付けたり。」

I just want to talk Japanese aesthetics and your faith.
We have a book called “Hagakure”, this is what should be called scriptures of Bushido. The most famous passage is “We found that Bushido is how to die.”

أنا فقط أريد أن أتحدث الجمالية اليابانية وإيمانك.
لدينا كتاب بعنوان “هاغاكوري”، وهذا هو ما ينبغي أن يسمى الكتاب المقدس من بوشيدو. مرور الأكثر شهرة هو “وجدنا أن بوشيدو هو كيف للموت”.

わたしが読んだのは三島由紀夫が書いた「葉隠入門」という本なのですが、この中に、次のような一節があります。「男は死んでも桜色。切腹の前には死んでも生気を失わないように、頬に紅をひき、唇に紅をひく作法があった。」すなわち、死ぬとき青ざめていてはみっともないというのです。

I read “Hagakure Introduction” by Yukio Mishima(Japanese famous author). In this, there is following passages. “Man should die with the cherry color. When you do Seppuku, you should put rouge on your cheeks and put lipstick on your lips.” In other words, it is ugly if you’re pale when you die .

قرأت “هاغاكوري مقدمة” من قبل يوكيو ميشيما (المؤلف الشهير الياباني). في هذا، وهناك فقرات التالية. “يجب أن الرجل يموت مع لون الكرز. عند القيام هارا كيري، يجب عليك ان تضع شفتين على خديك ووضع أحمر الشفاه على شفتيك”. وبعبارة أخرى، فمن القبيح إذا كنت شاحب عندما تموت.

日本の切腹のマナーを、あなたはどのように感じるでしょうか。日本人は、日本人同士で戦って、負けると分かったときに、切腹をしました。勝った方の人たちは、「敵ながら見事な最期だった」と負けた相手を褒めたのです。わたしたちの魂は美によって生き延びることができた。美意識は壊れなかった。

How do you feel the manner of Seppuku? We Japanese fight with Japanese, when it was found to lose, Japanese did Seppuku. People who won praised his opponent “It was the marvelous last moment !”. Our soul was able to survive by beauty. Aesthetic was not broken.

كيف تشعر طريقة هارا كيري؟ محاربة نحن اليابانية مع اليابانية، عندما تبين أن يخسر، لم اليابانية هارا كيري. الناس الذين فاز أشاد خصمه “لقد كان رائع آخر لحظة!”. وكان لدينا الروح قادرة على البقاء على قيد الحياة من الجمال. ولم ينكسر الجمالية.

それは、日本人と日本人が闘っているときの話です。第二次世界大戦で、日本兵はとても強い兵隊でした。死を恐れないことが我々の道徳だったからです。見事な最期を遂げることを多くの日本人が望んでいました。遂に原子爆弾が2つも落とされました。美しい最期ではなかった。

It is the story of when Japanese and Japanese are fighting. In World War II, Japanese soldiers were very strong. Because it was our moral that we were never afraid of death. Many Japanese hoped the marvelous last moment.
Finally atomic bomb was dropped. You know 2 atomic bombs. It was not a beautiful last moment.

إنها قصة من عند يقاتلون اليابانية واليابانية. في الحرب العالمية الثانية، كان الجنود اليابانيين قوية جدا. لأنه كان لدينا الأخلاقي الذي كنا أبدا خائفا من الموت. العديد من اليابانيين يأمل الرائعة في آخر لحظة.
وأخيرا أسقطت قنبلة ذرية. تعلمون 2 قنابل ذرية. لم يكن جميلة لحظة الأخيرة.

美しい最期ではなかったというのは、十分ではありません。美しく死んだところで、外国人は何一つその美しさを理解しなかった。わたしたちが守り続けていた美は、わたしたちを死に導いた。原爆でわたしたちは死の淵をのぞきました。それは個人としてではなく、民族としてでもなく、人類の一員として死の淵を覗いたのです。

It is not enough that it was not a beautiful last moment. If we dead beautifully, foreigners have never understood its beauty. Beauty we had continued to keep led us to death. Atomic bomb forced to watch us death. It was not only as an individual and a nation but also as a member of the human race.

لا يكفي أن لم يكن جميلة لحظة الأخيرة. إذا كان لنا أن الميت بشكل جميل، والأجانب لم تفهم جمالها. جمال كنا قد واصلت للحفاظ أدت بنا إلى الموت. قنبلة ذرية أجبرت على مشاهدة لنا الموت. لم يكن فقط كفرد وأمة ولكن أيضا بوصفها عضوا في الجنس البشري.

わたしの英語能力が不十分であることと、アラビア語の知識が全くないことをお詫びします。Google翻訳の手を借りて、日本語と英語とアラビア語でメッセージを送りました。あなた方の宗教に敬意を払います。そして、あなたが長生きすることを望んでいます。

I will apologize for that my English ability is insufficient, and there is no knowledge of Arabic. With the help of Google Translate, I sent a message in Japanese and English and Arabic. I pay tribute to your religion. And I hope that you will live longer.

وسوف الاعتذار عن ذلك اتقان اللغة الانجليزية بلدي غير كافية، وليس هناك معرفة اللغة العربية. مع مساعدة من جوجل ترجمة، وأنا أرسلت رسالة باللغة اليابانية والانجليزية والعربية. وأود أن أشيد دينكم. وآمل أنك لن تعيش لفترة أطول.

官邸前DISCO化計画 ヤギー&ミドリマン

官邸前DISCO、やぎうら彰くんをミドリマンに紹介するの巻

中野でがんばるヤギー&世田谷でがんばるミドリマン
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川柳作家 乱鬼龍さんとヤギーIMG_6076

中野にあるちょいと小洒落た立ち飲み「松五郎」にてIMG_6080というわけで、やぎうら彰くんを応援しています!
忘れもしない2012年6月20日、わたしたちの集めた『原発』都民投票のための323,076筆(有効署名)に対して、『原発』都民投票をしない、すなわち「否決」の結論を出した都議会への怒りをわれわれはまだ忘れていません。
この日は、わたしたちが政治ときちんと向き合わなければならないのだと思知らされた瞬間でもありました。
わたしは右往左往しながら、3回選挙に出ました。多少のノウハウは得たつもりでいます。
来る統一地方選挙で、「原発」都民投票の請求代表者の一人だったやぎうら彰くんが、中野区議選に挑戦しようとしています。
自分たちの仲間から政治家を出すのは、わたしたちの悲願でもあります。
ミドリマンこと、岡田哲扶さんも世田谷区議選への挑戦を決意されたとのこと!
わたしは参院選のときに、三宅洋平さんのステージをもっとより多くの人に見て欲しくて、ネット中継をあちこちでできないかと思い付き、選対長だった岡田さんを訪ねたのです。
官邸前DISCO化計画を知り、参加したいと思って、やぎうらくんにその話をしたところ、興味があると言うので、DISCOで待ち合わせて、岡田さんに紹介しました。
乱鬼龍さんともたまたま行き会ったのですが、実は、乱鬼龍さんは、中野区における貴重な一票の持ち主なのですね!
そして、先日教えてもらった中野の小洒落た立ち飲み「松五郎」にも行きました。
ヤギーファンのみなさん、ヤギーを独占して申し訳ない!
中野での活動協力を申し出れば、今ならだれでもヤギーを独占できます!
みんなで応援しましょう!
ミドリマンには世田谷のお友達を紹介しようね!